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魚市場の板舟と棒手(ぼて)振り

江戸時代の魚屋はどのようなものだったのでしょうか?

当時は冷蔵庫がありませんから、「江戸時代の魚屋」は、

「てやんでぃ、べらぼうめ、」

と言いながら魚を売り歩く鯔背(いなせ)なお兄さん(棒手振り(ぼてふり))しか選択肢はありません。冷凍のインドマグロも食べられるのですから、良い時代ですね。

例えば、大久保彦左衛門宅に出入りしていた一心太助などは有名な棒手振りです。

注: 1. 大久保彦左衛門: 戦国時代から江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。

2. 時代劇でお馴染み天下のご意見番大久保彦左衛門の屋敷のあった場所は目黒の八芳園です。大久保彦左衛門は三河の古い家臣の家に生まれ徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いで活躍し徳川秀忠、家光に多大の貢献をした人です。月形龍之介という東映の時代劇俳優の当たり役であったと記憶しています。

一心太助といったら、若かりし中村(萬屋)錦之助ですかね。大久保彦左衛門の邸が目黒という事で判ることは、棒手振りの行動範囲は山の手線の範囲と考えられます。冷蔵庫がない・歩いて運ばなければならないことから自明です。

 魚の仕入れは日本橋の魚市場に揚げられていた魚が対象となります。棒手振りは魚市場に来ると、中央道りを隔てて西側の品川町の『棒手茶屋』に最初に寄り、天秤棒などを預け、身軽になって問屋を訪問します。店は狭いので天秤棒のような大きいものは邪魔ですから、荷物は棒手茶屋に置く訳です。

茶屋と棒手振りの名前が書かれた『茶屋札』を魚を購入する度に、問屋に渡します。これがあれば問屋は品物を茶屋に届けることが出来る訳です。

 

棒手振りと棒手茶屋

棒手振りと棒手茶屋 魚市場の板舟と棒手(ぼて)振り

 棒手振りが仕入れを終えて茶屋に戻り一息入れていると、問屋の使いが品物を置いていきます。棒手振りは茶屋に金を払って、自分の担当地域に売りに行きます。肩に天秤を背負い、桶を揺らしながら運んでいくから「棒手振り」というのですね。

<参考文献>

*中央区沿革図集(日本橋編): 東京都中央区

* 日本橋魚河岸物語: 尾村幸三郎著 青蛙房 昭和59年(1984年)

*日本駿河町由来記: 駿河不動産(株) 昭和42年3月(1967年)