rosemary sea

中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

東京駅の前の道路・八重洲通りは、地下には「ヤエチカ(八重洲地下街)」の店舗約180が広がっていますが、地上の中央分離帯にもモニュメントが立っています。

それは、

◎ 平和の鐘

◎ ヤン・ヨーステン記念碑

です。

なお、中央分離帯にはありませんが、そのそばのモニュメント、

◎ キリン像

も、再度ご紹介します。

以前のご紹介と一部重複しますが、今回はこちらをご紹介したいと思います。

なお、以前の記事はこちらです。

⇒ 2023年10月29日「ウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステン・・・おまけ情報も満載です ~どうする家康・VIVANT・アナログ」

それでは「平和の鐘」から・・・

 

 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

八重洲通りの中央分離帯、全体を写しました。

中央の4段の階段の右が「ヤン・ヨーステン記念碑」、中央奥に立っていますのが「平和の鐘」です。

道路(八重洲通り)の更に奥は東京駅です。

 

平和の鐘

平和の鐘 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

中央区の「平和都市宣言1周年」を記念して1989年(平成元年)に建てられました。

高さ約7mで、鐘は26個あります。

オランダ製の鐘で、午前9時から午後9時の毎正時(まいしょうじ:ちょうどの時刻ごと)に美しい音色を響かせます。

 

 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

「平和の鐘」の鐘自体を、下から撮りました。

 

 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

(「平和の鐘」の下に建てられたモニュメントです。)

(画像中央の部分に「平和都市宣言」が書かれています。)

中央区平和都市宣言

(昭和63年3月14日 議決第15号・昭和63年3月15日 告示第26号)

いまいちどたちどまり

  平和の尊さをみつめよう

ささやかな幸せも

  こよなき繁栄も

平和の光が消えたなら

  すべてが失われる

私たちの手にあるこの輝きを

  明日の世代に伝えよう

1988年3月15日

  この日私たちは

  永遠の平和を願い

  中央区が平和都市で

  あることを宣言する

 

ヤン・ヨーステン記念碑

ヤン・ヨーステン記念碑 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

(画像下段中央の切れたところ、説明板があります。)

  日蘭修好380周年記念

  ヤン・ヨーステン記念碑

二つの羅針盤の輪が天球儀の形に組み合わされています。

羅針盤は、当時世界をリードしていたオランダの公開技術の象徴であり、また天球儀は「時」の象徴でもあります。

左側の頭部がヤン・ヨーステン像、右側の帆船が日本漂着の際、彼が乗り組んでいたとされるオランダ船リーフデ号です。

中央上部にいは当時のオランダの国策会社東インド会社のマークが置かれています。

中央下部の図柄は、古地図で方角を示すのに使われたもので、太陽をモチーフにしています。

四隅は波=海を図案化したもので、これも古地図にヒントを得ています。

 

(左側のヤン・ヨーステン像の下に書かれています説明文です。)

  ヤン・ヨーステン  1557頃~1623

1600年(慶長5年)、オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。

そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。

彼の江戸屋敷は現在の和田倉門 ー 日比谷間の内濠の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすがし)と呼ばれて、明治まで続いた。

現在は中央区の八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。

  ヤン・ヨーステン像 : オランダ人 L、P、プラート作

 

(右側のリーフデ号の上に書かれています説明文です。)

日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。

1609年(慶長14年)平戸にオランダ商館が設立され(後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口になり続けた。

オランダがもたらした学術・文物が日本に与えた影響は大きく、明治以後の日本近代化の大きな礎(いしずえ)になった。

とくに中央区とオランダとの歴史的な関係も深く、日蘭修好380周年を記念してここにモニュメントを設置し、永久にこの友好を保存するものである。

1989年4月20日 東京都中央区

 

ヤン・ヨーステン記念碑

ー 家康の片腕として活躍したオランダ人航海士の碑 ー

豊後に漂着したヤン・ヨーステンは、徳川家康の信任を得て日本に定住。

ウィリアム・アダムス(三浦按針)と共に家康の外交顧問や通訳として活躍、アジアでの朱印船貿易に従事した。

八重洲という地名は、彼の名前の拝領屋敷があったことにちなんだもの。

八重洲通り(中央分離帯)にある記念碑は、日蘭修好380年を記念して平成元年(1989年)に設置された。

八重洲地下街にもヤン・ヨーステンの記念碑がある。

 ~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

 

 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~
 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

上の2枚の画像、遠目に中央分離帯を撮影しました。

どちらも中央やや左に「平和の鐘」が見えます。

そして中央右端には「キリン像」が望めます。

 

キリン像

キリン像 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

中央分離帯内ではありませんが、すぐ近くの交差点角にありますモニュメントもご紹介します。

ツムラさんの置きみやげ、鍛金彫刻家・安藤泉さん作の「キリン像」です。高さ6.25mです。

冒頭に示しました過去記事では、もう少し詳しく述べさせていただいております。

 

八重洲通り 中央分離帯

八重洲通り 中央分離帯 中央分離帯のモニュメント
  ~ 八重洲通り 中央分離帯 ~

「ヤン・ヨーステン記念碑」は上の地図の中央右、赤い丸で囲った『現在地』、中央分離帯にあります。

交差点信号の歩道から入り、碑を鑑賞できます。

鑑賞はもちろん問題ありません。中央分離帯内ですが、立ち入って良い所です。

 

「平和の鐘」はヤン・ヨーステン記念碑の左隣りにあり、右隣りに冒頭画像の「プレート」があります。

 

「キリン像」はヤン・ヨーステン記念碑の右上、青い星印、交差点角です。