今様大江戸瓦版 (安政6年7月(1859年)~文久3年4月(1863年))ーのぞき見禁止、女湯に竹簾
のぞき見禁止!女湯に竹簾徹底
7月9日 町奉行は江戸の湯屋に対し、女湯には竹簾を下ろし、外から見透かせないようにせよと命じた。街を通行する外国人の眼を気にしてである。
寛政3年正月、町奉行は寛政改革の風俗統制の一環として、男女入込湯(混浴)の禁止令を出している。この法令はたびたび出され、入込湯を営業する湯屋は摘発された。この法令はなかなか守られないためである。我が国においては、男女が混浴に入ったり、ふろ上がりに裸で歩き回ったりというのは珍しくない光景であった。
外国人には我々の湯屋文化は奇異に映るようで、安政4年10月アメリカの総領事ハリスの江戸参府に際しても注意事項の一つとして「入湯する人は裸で二階や店先にいてはならない」というものがあった。外国人の通行が日常化する中で、町奉行所は庶民の感覚として当たり前の裸体の取り締まりに頭を悩ましていたようです。
風呂屋
湯屋は毎朝早朝より客を入れ日が暮れて2時間程度(五つ時頃)で表を閉ざして火の元厳重に注意していた。例年12月大晦日には終夜風呂を焚き客が出入りする。夜明け前の客が途絶える頃に風呂を落とし、元旦未明烏(からす)の泣きわたる頃より客が来た。
参考文献:
江戸府内絵本風俗往来 新装版(絵 菊池喜一郎=四代広重): 青蛙房(せいあぼう)発行 昭和40年 オリジナルは明治38年12月発行 東陽堂支店発行