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広重と司馬江漢の「蒲原の雪景色」
安藤広重の東海道五十三次の浮世絵の中の「蒲原の雪景色」は非常に奇妙である。北海道や新潟の雪景色なら納得できるが、東海地方の蒲原で添付のような深い積雪に広重が遭遇したとは考えられない。偶然のなせる業か、あるいは新潟県の蒲原の雪景色を「静岡の蒲原」として描いたのか?あるいは司馬江漢の「蒲原 夜之雪」をベースに編集したのか。今回のブログでは、後者について考察してみたい。 広重は「蒲原 夜之雪」を模写したという説を掲げている對中如雲著『司馬江漢 「東海道五十三次」の真実』を取り上げてみたいと思います。 ① 広重が東海道を歩いたのは1回と言われているが、大雪に遭遇するであろうか?それも東海地方「静岡」の蒲原で。司馬江漢の「蒲原」の模写と考えれば納得がいく。司馬江漢は文化10年(1813年)6月12日付、佐賀藩士山領主馬に宛てた書簡で「去年より春に至りて数十年にも不覚寒威にて、東都も殊の外寒くあれど、今日は毎冬寒気他国と違い、・・・・昨年今春にかけての寒気は格別にして、雪は正月3日から毎日13日迄降り続けり、・・・・・」 1月13日に蒲原で大雪に遭遇したに間違いない。当時の天気予報によると次のような著述がある。 「文化九年十二月十六日(1813年 1月18日)大雪酷寒今日より雪頻りに降って連日止まず.廿二日に到り大雪地に積る事六尺余,……其後池辺 の人民翌春に至る迄池上を往来せしと云ふ。京都に滞在していた江漢は正月元旦に東海道に向けて京を立ち、3日か4日には亀山宿、庄野・四日市・桑名と下り13日前後には蒲原宿に到達したはずである。京都の雪は1月12日迄降り続いていたが、蒲原でも大雪であったのか疑問が残るが、当時は世界が小氷河期入っており、江戸でも隅田川が凍ったようであるので蒲原の雪は想像できる。蒲原の旧家である名主「渡邊家」に伝わる古文書によれば天保13年(1842年)に7寸(21cm)の積雪があったという記述があり、絵の中で雪が降っていたことに矛盾はありません。
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『司馬江漢』の東海道五十三次 ー 広重じゃないの?
私の妻の実家の案件処理のため5月2日に熱海市来宮法務局を訪問する用事があり、熱海から伊東線に乗車しました。隣に座った人物と会話が始まり、熱海ー来宮間の乗車中の短時間(たった2分間)にその方が「訪問先が「崔如琢美術館」であること・開催中の司馬江漢「東海道五十三次画帳」展に参加すること」を知りました。美術館の名前についている崔如琢氏は中国で著名な現代中国水墨画家の一人で、作品を専門に展示する日本初の美術館です。中国の自然と動植物をダイナミック且つち密に描いた作品が当館1階に常設されており、必見です。特別展として、8月末まで司馬江漢「東海道五十三次画帳」展が開催されていると聞いたので、何の知識もなかったのですが、訪問を約束し別れました。 司馬江漢「東海道五十三次画帳」展が開催されているこの美術館を、翌日訪問しました。この展示会開催場所は遠いですので、わざわざ訪問するのは難しいと思いますが観光目的で伊東方面に行かれることがあればついでに是非訪問することを推奨します。伊豆急行線「富戸駅」から徒歩25分の場所にあります。ガイドをしている皆様であれば、造作のない距離でしょう。
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