千両箱の運搬
江戸でも名の知れた金満家として、日本橋金吹町の三谷三九郎・中井新右衛門、室町の竹原某、神田連雀町の村田某の名が挙がります。中井新右衛門は中井銀行(離散集合を重ねて現在は三菱UFJ銀行になっています)を含めた四家は、徳川将軍家金子御用を勤めていました。必要に応じて、この四家から江戸城内iに千両箱が運ばれます。
千両箱の運送
千両箱は、横二尺、幅一尺、高さ六寸の檜の厚板で、四隅が金具で覆われた堅牢な箱になっています。漆のような光沢を放つ墨で、四家の屋号が記されています。この箱には錠前がかけられており、天秤棒の前後にぶら下げて、十人、二十人が連なって、呉服橋門や常盤橋門を経て城内に向かいます。
担ぐ人足は、襤褸(らんる=ぼろとかつづれの意味)切れといっていいような貧し気な身なりですが、千両箱輸送で不都合が発生したことはないようです。送り状や手形などといったものはなく、金子(きんす)御用の四家から直接御金蔵役人の手に渡されます。
今ならセコムやアルソックのような警備会社担当の現金輸送ですが、持ち逃げする不逞なものもなく、襲撃するような不心得者はいなかったようです。石や瓦を運ぶように淡々と運んでいたらしい。
参考文献:
① 江戸府内絵本風俗往来 新装版(文・絵 菊池喜一郎=四代広重): 青蛙房(せいあぼう)発行 昭和40年 オリジナルは明治38年12月発行 東陽堂支店発行