中央区の歩道っておもしろい!35【本町通り】

こんにちは、湊っ子ちゃんです。
2018年より書きはじめたシリーズ「中央区の歩道っておもしろい!」
久しぶりの復活です!
中央区には、現在101の道に愛称があります。
通り名は、その町の歴史を物語っていたり、地域のみなさんの思い入れがあったり…私たちに、その町を好きになり、興味をもつきっかけをくれます。
こんなにたくさんの道に愛称がある区市町村は、ぐるっと見回しても中央区だけ!
それだけ、ひとつひとつの道に、語りつくせないストーリーがぎゅっと詰まった街が、中央区なのです。
今回は、「本町通り」を歩きます。

「本町通り」は、日本橋本石町三丁目2番から日本橋本石町二丁目1番まで、
および日本橋室町三丁目1番から日本橋本町二丁目2番までの約550mの道のりです。
太田道灌の時代より、常盤橋門から浅草を経て、日光・奥州へ通じる重要な街道筋でした。
そうです、「本町通り」は、旧日光・奥州街道の本道です。
今では林立するビルにはさまれて、すっかり裏側の道になってしまいましたが、その歴史ある道の名をとどめるため、平成31年(2019)度に愛称道路に指定されました。

日本銀行の背中の見える、北側からその道ははじまります。
「本町通り」と刻まれた石碑をみつけました。
徳川宗家第18代当主徳川恒孝(つねなり)氏の書であります。
天正18年(1590)江戸に入府した徳川家康は、いちばんはじめにこの街道筋「本町通り」を整備します。いまの日本銀行本店本館の建つ場所には、金座が置かれました。
周辺には職人が集住し、商いの活発なメインストリートでした。
もとは常盤橋門からまっすぐに伸びる道でしたが、街区の変遷にともない、起点が北へずれたことで…、
2区間に分かれるという、とってもレアな愛称道路なのです。
途中、ほんの数十歩くらい、南北に通る「日銀通り」を歩く区間があります。
メトロリンク日本橋eラインが走ってきました。
赤い車体と猫にワンコインが目印、中央区コミュニティバス江戸バス北循環もここを通ります。
そして、東に折れると「本町通り」はふたたびはじまります。

コレド室町テラスの大屋根広場に出ました。
おもしろいものを発見しましたよ!
「日本橋室町スチーム時計」がありました。
建物の地下には日本橋エネルギーセンターがあり、近隣のビルに電力や熱を供給するという、日本初の取り組みをしているとのこと。このスチーム時計は、そのシンボルなのだそうです。
江戸切子の伝統的な文様、籠目と矢来のあしらわれた、粋なデザインです。
どんな音が出るんだろう~?

そして、ひときわ目を引く5色の像。
東京2020オリンピック競技大会と、日本橋におけるオリンピック・アゴラを記念して制作された「オーディエンス」という作品です。
サクラ・シラカシ・モチノキの街路樹が、木漏れ日を降らせている…。
変わりゆく街並み、伝統を守りながらもつねに、新しく生まれ変わる日本橋…。
この道は、近未来へのタイムトンネルみたい…。

中央通りに出ると…、ふたたび気分は江戸時代。
「十軒店跡」の石碑をみつけました。
江戸時代、ここに桃の節句や端午の節句の人形を売る市が十軒立ったことからそう呼ばれるようになりました。
葛飾北斎の「画本東都遊(えほんあずまあそび)」にも描かれていますね。
さぁ…中央通りを渡って、まだまだ「本町通り」は続きます。

本町三丁目に入ると、道はすっかりビルの影になってしまって、寒い~!
でも、ここにもちゃんと、中央区のボランティア花壇「花咲くまち角」の花たちが咲いていました。
今は、パンジーとスイートアリッサム。
そして、さらに歩いてゆくと…。
道は昭和通りと首都高速で行き止まりになってしまいました。
ふと、薬の絵のあるビルのエントランスに目を引かれ…。
第一三共株式会社の、
「Daiichi Sankyo くすりミュージアム」です。
今度ぜひ見学してみようっと。(事前予約制)
さて、中央区愛称道路「本町通り」はここで終点ですが、昭和通りを渡った先には、名前を変えて、この江戸いちばんの街道筋はまっすぐ続いているのです。
大伝馬町に入ると、その名は「大伝馬本町通り」、そしてさらに歩みを進めると、「横山町大通り」へ。
そして、さらには浅草橋に至るのです。
由緒正しき道の名を、いまに伝える「本町通り」。
やっぱり、中央区の歩道っておもしろいですね!

本町三丁目側より「本町通り」をのぞむ
~中央通りをはさんで、左手には日本橋三井タワー、右手には十軒店跡~
♪参考文献「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/中央区愛称道路ホームページ/日本橋経済新聞

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第236号 令和7年2月12日