べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 24
~ 松前廣年 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第23話、驚きもありましたね。
源内さんや須原屋さんの、蔦重「耕書堂」への熱い想い、風は日本橋へ、といったところが描かれていました。
今回登場されましたのは田沼意知(次々回予定)、シリーズ⑤須原屋市兵衛、シリーズ21大田南畝(四方赤良)、シリーズ⑥長谷川平蔵、シリーズ⑱田沼意次、シリーズ22土山宗次郎、シリーズ23喜多川歌麿、そしてシリーズ⑩平賀源内(回想)、シリーズ⑧鶴屋喜右衛門、そしてそして将来の蔦重の妻・てい(次回予定)、・・・。
今回は「松前廣年(まつまえひろとし)」をご紹介します。前回22話からの登場、今回もセリフ多めでしたね。
そして『琥珀(こはく)』の一件、次回以降も続きます。
松前廣年は松前藩7代藩主の松前資広(すけひろ)の五男として生まれましたが、一門の蠣崎(かきざき)家の蠣崎広武の養子となりました。
松前藩の家老となりましたが、画家・蠣崎波響(はきょう)としても活躍しました。
築地本願寺に墓のある酒井抱一(さかいほういつ)とも交流があったそうです。『友だちの友だちはみな友だち』感覚で、中央区に辿り着いた、とさせていただきます。
なお、冒頭画像は築地3ー15ー1,築地本願寺です。
以下の画像は全て築地本願寺境内の史跡です。
それでは・・・
松前廣年は・・・

九条武子夫人歌碑・・・関東大震災復興に奔走した女流歌人
松前廣年
松前藩7代藩主の松前資広の五男として生まれたが、幼くして藩主一門の蠣崎家の養子となる。
江戸に上り、絵を学び、「波響」と号した。
名が知れた後も円山応挙に師事し、画風を変える。
松前藩家老としても、画家としても活躍した。
夷酋列像粉本(いしゅうれつぞうふんぽん)
夷酋列像
蠣崎波響の代表作のひとつです。
画像は文化遺産オンラインでご覧ください。
「夷酋」とはアイヌの酋長のことです。
「粉本」とは下書きのこと、つまり夷酋列像の下書きということです。
これが「夷酋列像」として完成されると・・・。
画像は函館市中央図書館ホームページ「蠣崎波響」の下部右の画像「御味方蝦夷之図」(イコトイ)をご覧ください。
描写の細かいところ、色彩の鮮やかなところ、珠玉です。
「べらぼう・・・」での松前廣年は・・・

間新六供養塔・・・赤穂浪士四十七士の一人の供養塔(都指定文化財)
ひょうろくさんが演じています。役者さんとして大河デビュー、驚きを隠せません。
今年2月26日OA・TBS『水曜日のダウンタウン・ひょうろくさんだまし』後編で、ロズマリはエキストラとして4歳女児とともにひょうろくさんの周りをうろうろしました。だまし、成功です。
松前廣年
~ 吉原に出入りする中で、人生が翻弄されていく・・・ ~
松前道廣(えなりかずきさん)の弟で、、松前藩の江戸家老。
幼少のころから画を学び、蠣崎波響(かきざきはきょう)としての画名も持つ。
あることがきっかけで吉原の大文字屋で花魁・誰袖(福原遥さん)と出会う。
松前藩の繁栄のために尽力するが、自由奔放で非道な兄・道廣とは違い、心根の優しさがあだとなり、のちの松前藩を揺るがしていく・・・。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー
酒井抱一墓

酒井抱一(1761年~1828年)は江戸後期に活躍した画家。
播磨国(現在の兵庫県)姫路藩主酒井家の子として生まれ、若い頃から俳諧や絵画に才能を発揮した。
西本願寺の文如上人(もんにょしょうにん)が江戸に下向した際に出家をする。
尾形光琳(おがたこうりん)に私淑(ししゅく)し、その画風を受け継ぎながらいっそうの洒脱(しゃだつ)さを加味し、四季の花鳥風月(かちょうふうげつ)を詩情豊かに描き出す独自の作風を確立。
いわゆる江戸琳派(えどりんぱ)の創始者となった。
代表作に『風雨草花図』(ふううそうかず)、『紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)』、『十二ヶ月花鳥図(じゅうにかげつかちょうず)』など。
(築地本願寺の)境内に墓がある。
東京都指定文化財。
~ 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ~

土生玄碩(はぶげんせき)墓・・・眼治療が名医の蘭方医の墓(都指定文化財)
・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、バックグラウンドも細やかに検証していきます。