あすなろ

旗本になったイギリス人

慶長5年(1600)関ヶ原合戦の半年前、ウィリアム・アダムスたちが乗ったリーフデ号は航海中に嵐にあい、豊後国(現在の大分県臼杵市佐志生)に漂着しました。

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その後、大阪城に赴くと大老家康に謁見しました。アダムスが持つ知識や公平な人柄を見抜いた家康は、関ケ原の戦いの勝利後、江戸日本橋にアダムスの屋敷を用意しました。屋敷周辺は昭和初期まで「按針町」と呼ばれその名残は「按針通り」という通り名に残っています。

 旗本になったイギリス人

徳川家康は帆船建造の功績を賞し、帯刀を許したのみならず相州三浦郡逸見村に250石の知行を授け、「三浦按針」と名乗らせ旗本侍としました。領地となった「三浦」郡と、アダムスの職業であった水先案内人の意味を持つ「按針」をかけあわせた名前です。

 外交顧問として家康に重用され、砲術、天文学、造船術、航海術などを日本にもたらし、家康の世界観に影響を与えました。

 旗本になったイギリス人

按針の領地であった横須賀市西逸見町にある塚山公園には、遺言によってこの地に建てたと伝えられる2基(三浦按針夫妻)の供養塔が残され、手前の石燈籠には、「江戸日本橋 安針町」と刻まれた文字が確認できます。寛政(1789~1801)年間に、江戸日本橋安針町から寄進されたとのことです。

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「東都を一望すべき高敞の地」からは、遠くは房総半島や横浜、眼下には横須賀の港、猿島などが見渡せます。

 旗本になったイギリス人

<2025年5月 撮影>

◆三浦按針遺跡
 東京都中央区日本橋室町一丁目10番8号 按針通り

◆県立塚山公園・按針塚
 神奈川県横須賀市西逸見町
 京急安針塚駅から徒歩約20分