日曜日に、立原道造を想う

 日曜日に日本橋久松町を歩いていると、久松小学校の脇に、立原道造の詩と彼の生涯が記述された案内板があった。以下は、その抜粋内容である。

 「日本の代表的な抒情詩人の一人・立原道造(たちはら・みちぞう)は、本校を昭和二年に卒業し、小学校時代は六年間を首席で通した。

 やがて、絵画、音楽、短歌、天文など幅広い分野に関心が向き始め、府立三中、一高、東大と進むうち、その創造的な才能が開花して行く。

 大学では建築学科に入り、成績優秀者に与えられる辰野金吾賞を、在学中三度も受賞した。

 その一方、室生犀星、堀辰雄らとの交流を深め、文芸誌『四季』を舞台に、ソネット形式(十四行詩)に独自の世界を構築した。

 わずか二十四年の短い生涯であったが、草や木や、鳥や雲にも繊細な筆が及んで、いまもなお多くの人々の心を捉えている。」

 立原道造の晩年の詩作である「夢みたものは・・・」には、その十四行詩の中に、彼の無垢で一途な心や、命あるものへの敬意が、実に見事に表現されている。そして、この純真無垢な心や生きとし生けるものへの慈愛は、母校の後輩たちに脈々と受け継がれていることを想像する。

(日本橋久松町7-2)