9月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』
〜よみがえる280年の物語
歌舞伎座では毎年9月、初代中村吉右衛門(1886–1954)の功績を記念して「秀山祭」が行われています。ここでは、初代が得意とした義太夫狂言(三味線などにに合わせて演じる歴史劇)などを、ゆかりの役者たちが上演します。
今年は松竹株式会社の創業130周年にあたり、義太夫狂言の名作が順番に上演されています。2月は『仮名手本忠臣蔵』、そして9月は初代吉右衛門の代表作でもあった『菅原伝授手習鑑』です。
この作品は長編のため、普段は人気の部分だけを上演します。しかし今回は最初から最後まで通して上演する特別企画です。A・Bプログラムに分かれ、多くの役者が出演し、豪華な顔ぶれとなっています。
左大臣・藤原時平を演じるのは、初代吉右衛門の孫である松本白鵬です。武部源蔵は、ひ孫の幸四郎と玄孫の染五郎が務めます。
菅丞相(菅原道真)は片岡仁左衛門(15世)が演じます。演劇評論家・宮辻政夫の著書『仁左衛門花実抄』(2025年5月刊)によれば、11世・13世仁左衛門が演じる「菅丞相」も高い評価を得ました。そして「当代仁左衛門も決定版とも言える人物像を作り上げ、この役は片岡家の『家の芸』といっても良いだろう」と評されています。
さらに、初代吉右衛門の屋号「播磨屋」を受け継ぐ中村歌六は、長男・米吉と共に出演します。弟の又五郎は長男・歌昇、孫の種太郎・秀乃介、次男・種之助とともに舞台に立ち、一門総出で臨みます。歌六・又五郎兄弟は、映画スター萬屋錦之助を叔父に持ち、一時「萬屋」を名乗りましたが、2010年に伝統ある「播磨屋」に復帰しました。
『菅原伝授手習鑑』は初演から280年を経てもなお人々を魅了し続けています。この秋、歌舞伎座でしか味わえない全段通しの特別な舞台を、あなたも客席で体感してみてはいかがでしょうか。
【主要な役者の家系図】
史実と創作
【史実】
菅原道真は学者出身でしたが、宇多天皇に重用され、異例のスピードで出世しました。ついに右大臣にまで昇進し、実質的に朝廷のナンバー2となりました。当時のナンバー1は貴族の藤原家出身の左大臣・藤原時平でした。時平は、学者出身の道真が権力の頂点に立つことを強く警戒しました。
そこで、901年、時平は宇多天皇の跡を継いだ醍醐天皇に「道真はあなたを退けて弟の斎世親王を天皇にしようと企んでいる」と讒言(告げ口)しました。醍醐天皇はこれを信じてしまいます。
その結果、道真は九州の大宰府へ左遷されました。これは事実上の追放でした。903年、道真は大宰府で失意のうちに亡くなりました。
道真の子どもたちも官職を奪われ地方に流されました。しかし道真の死後、京では疫病や落雷が相次ぎ、「道真の祟り」と恐れられました。朝廷は子どもたちを赦免し、長男・高視を中心に復帰を許しました。以後、菅家は学問の家「大学家」として定着し、文章博士を世襲しました。鎌倉・室町期も学問と官吏養成を担う名門とされました。江戸時代になると、道真は「天神様」として神格化され、子孫は天神社を支える社家となりました。
【創作】
歌舞伎『菅原伝授手習鑑』では、道真は「菅丞相」(かんしょうじょう。丞相とは大臣の意味)、時平は「藤原しへい」と名前を変えて登場します。江戸時代は幕府の検閲により、実在の人物をそのまま描くことが禁じられていたためです。
また、当時大坂で三つ子の誕生が話題になったことを取り入れ、家臣の子として松王丸・梅王丸・桜丸の三兄弟を登場させました。さらに、菅丞相の子が狙われ、身代わりの子が犠牲になるという悲劇が創作として加えられました。
題名『菅原伝授手習鑑』には次の意味があります。
① 学問の神・菅原道真が学識を「伝授」したこと。
② 寺子屋で子どもが文字を学ぶ「手習」の場面。
③ 「寺子屋の段」で松王丸が我が子を犠牲にしてまで忠義を貫きます。その姿は江戸時代の人々にとって武士の模範=「鑑」そのものでした。
この作品には、単に忠義だけでなく親の子への深い愛も描かれています。松王丸の心には主君への忠義と父としての愛情がせめぎ合っています。だからこそ、この物語は時代を超えて上演され続け、人々の心を打ち続けているのです。
各段のあらすじ
「二段 筆法伝授」の場面
物語の背景
菅原道真(以下では「菅丞相」を「道真」とします)は学識を認められ、右大臣にまで昇進しました。しかし、藤原時平はこれをねたみ、失脚を狙っていました。
道真の養女・苅屋姫は、天皇の弟・斎世親王と恋仲になり駆け落ちします。皇族と高官の養女の恋は、一歩まちがえれば、皇位継承や政局に関わる大事件につながりかねません。しかも天皇の病気平癒を祈る行幸の最中の密会であったため、国家の神事を汚す行為と非難されました。
道真は「養女を黙認し、皇位を狙った」と疑われます。無実でしたが、時平はこれを利用して天皇に讒言し、ついに道真は都を追放されました。この冤罪が物語の出発点となります。
序幕 加茂堤(かもづつみ)
春の加茂川の堤は、梅の香りでいっぱいです。
天皇の弟である斎世親王に仕える下級役人・桜丸は、妻の八重と一緒にいます。桜丸は、親王と菅原道真の養女・苅屋姫が会えるように手助けします。
二人は牛車(平安時代の貴族用の車)の中で話しますが、天皇の病気回復を祈る途中であり、政敵である藤原時平の家来たちが監視しています。
やがて役人が来て車の中を調べようとします。桜丸は追い払いますが、二人はすでに逃げて駆け落ちしてしまいました。この出来事が後に道真の失脚につながります。
二幕目 筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)
道真は天皇からの命令で、書道の最高の技である「筆法」を弟子に教えることになりました。
呼ばれたのは、昔、許されない恋をして主君から縁を切られた武士・武部源蔵です。今は浪人として、子どもに読み書きを教える寺子屋を開いています。
道真は源蔵の腕を認めて教えますが、過去の処分は取り消しません。
その時、急に宮中に来るよう命令が届きます。不吉なことに冠が落ちます。出発後すぐ、親王と姫の密会が知られてしまい、道真は謀反の疑いで遠くの地に追放されます。
道真は源蔵に、息子の菅秀才を隠して守るよう託します。
三幕目 道明寺(どうみょうじ)
追放される途中、道真は役人の判官代輝国の計らいで、伯母の覚寿が住む寺に立ち寄ります。
そこには苅屋姫が匿われています。覚寿は、姫が斎世親王と駆け落ちをしたことが道真の失脚の原因だと怒ります。そして杖で姫を叩きます。
一方、時平の部下である宿禰太郎と父である土師兵衛は道真の暗殺を企てます。太郎の妻で、刈谷姫の姉・立田の前はこれを阻止しようとして殺されてしまいます。
道真は覚寿の頼みで自分の木像を作り、それが本物と入れ替わることで奇跡的に命を救われます。
四幕目 車引(くるまひき)
白太夫は菅原道真に仕える家臣で、三つ子の息子がいます。
長男の梅王丸は道真方、次男の松王丸は時平方、三男の桜丸は斎世親王に仕えています。
京都の神社近くで、道真が左遷されたために浪人となった梅王丸と桜丸が再会し、主君の無念を語ります。
そこへ時平の牛車が通ります。二人は襲いかかりますが、立ちはだかるのは松王丸です。三兄弟が敵味方に分かれて、牛車を引き合います。
やがて時平本人が現れ、一喝して二人を止めます。三人は父の長寿祝いの席で会うことを約束し、別れます。
五幕目 賀の祝(がのいわい)
この日は、道真の忠実な家臣である白太夫の70歳祝いです。三兄弟と妻たちが集まります。
息子たちはそれぞ準備を進めますが、梅王丸と松王丸は先日の争いをめぐって口論します。やがて庭の桜の木を折ってしまいます。この桜は道真が大切にしていた木です。
白太夫は叱らず、息子たちに厳しい役目を与えます。梅王丸には秀才探し、松王丸には時平方に身を置いても道真の子を守る忠義を、桜丸には自分で責任をとる覚悟を求めます。祝いの裏に、それぞれの別れの運命が近づきます。
六幕目 寺子屋(てらこや)
源蔵は秀才を匿っていましたが、時平方に見つかります。
家来の春藤玄蕃と松王丸がやってきて、秀才の首を渡せと迫ります。
源蔵は、先ほど女が連れてきた寺子屋に入ったばかりの少年・小太郎を身代わりとして、涙をこらえて首を討ちます。松王丸は首を見て、「秀才に間違いない」と言って立ち去ります。
しかし、実は小太郎は松王丸の実の子で、女は母千代でした。松王丸は秀才を救うために我が子を犠牲にしたのです。
千代も松王丸も寺子屋に戻り、千代は悲嘆に暮れますが、夫は小太郎を「利口なやつ、立派なやつ」と褒め称えます。
御台所と秀才が再会する場面の後、松王丸夫妻は白装束で小太郎の霊を弔いに行くのでした。
忠義と親子の愛が交錯する、涙なくしては見られない大詰です。
いま歌舞伎座は、映画『国宝』のヒット効果もあって大勢の観客でにぎわっています。その熱気の中で観る古典の大作『菅原伝授手習鑑』の全段公演は、観客を歴史と人間ドラマの世界へ誘ってくれます。
映像では味わえない役者の生の声や息づかい、舞台全体を包む義太夫の響きが観客の心を揺さぶります。スクリーンから劇場へ、観る場所を変えることで歌舞伎の奥行きを再発見できる――そんな今だけの体験をぜひ楽しんでいただければと思います。
【主要な役者の家系図】その2
【出典】
浮世絵はいずれもシカゴ美術館
「菅原の秘密」シリーズより
(1830/44年頃)
パトリシア・ハイランド寄贈
作者 歌川貞秀(1807-1873)
タイトル
① 道明寺 参照番号1971.847
② 筆法伝授 参照番号1971.848
③ 寺子屋 参照番号1971.851
④ 車引 参照番号1971.850
オフィシャル