滅紫

江戸の流行り神「翁稲荷」

甲子園も終わり、都心でも蝉しぐれがにぎやかになりました。今年の夏も終わりに近づいた感じです。山王御旅所に隣接する明徳稲荷神社には「翁稲荷」「祇園稲荷」が合祀されています。明徳稲荷は日本橋トポグラフィ事典によると「元禄の頃南茅場町の与力同心組屋敷内に勧請された稲荷であったとされる。震災後の区画整理で移転、戦災で焼失したが復興され現在地に移った」とあります。そして「同じく境内に「翁稲荷」が祀られている。祭神・縁起は不詳であるが「中央区史」には「元四日市町にあり広小路の盛り場の中にあって、日本橋付近の一名物であった」と記されている。

ご紹介したいのはこの「翁稲荷」です。以前「江戸の祭礼と歳事」の中に「流行り神」の記述があり、其の中にこの「翁稲荷」があったのを思い出しました。「流行り神とは突如として人々の関心を集めて熱狂的な信仰を受けるが短期間で信仰が消えてしまう神仏」とあります。「翁稲荷」は土中から見つかった翁像を日除け地の小さな祠に祀ったものである。あるとき翁稲荷を邪険に扱った鳶の者が大怪我をし、瀕死の苦しみの中突如神がかりして悶死してしまった。これを見た鳶の仲間は社地を清め、石の水盥を奉納。人々は神罰の祟りを恐れつつ霊験あらたかなことを知って群參し奉納の供物や絵馬が増えて石鳥居や玉垣も造られ立派な構えになった。毎月午の日はとくに賑わった」

 江戸の流行り神「翁稲荷」

 

これは嘉永年間の古地図ですが、この日除け地として作られた元四日市の江戸橋広小路の中に「翁稲荷」を発見。

 江戸の流行り神「翁稲荷」

嘉永2年の3つの流行り神の中で一番人気の内藤新宿正受院の「奪衣婆」と「翁稲荷」が首引きをしている国芳の絵がありました。人気だったのですね。

散歩の途中でちょっとのぞいてご覧になりませんか。

日本橋茅場町1-6