江戸のえびす講
『江戸風俗十二か月の内十月 豪商恵比寿講祝いの図』揚州周延 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸のどこかの豪商のえびす講の様子です。鯛を抱えたえびす様の像の前でどんちゃん騒ぎ。
上の絵の宴会がえびす講だとしたら「講」(特定の信仰をする人が集まり寺社への参拝をする)のイメージと違うような……えびす講とはどんなものだったのでしょうか?
中央区では今年も10月19日(月)、20日(火)10:00~21:00に宝田恵比寿神社の周辺でべったら市が盛大に開催されます。
江戸時代から続くべったら市は10月20日のえびす講のために前日の19日にお供えの飾り物やべったら漬けを売る市でした。
べったら市へ行く前に江戸時代のえびす講はどんなものだったのかちょっと覗いておきましょう。
注)「えびす」の漢字は恵比寿、蛭子、夷、戎と表記されることがあるので「えびす」と平仮名で統一します。
また、次の段に登場するイザナギノミコト、イザナミノミコトは『日本書紀』『古事記』で漢字が異なるのでカタカナにします。
まず、「えびす様」とは
『古事記』『日本書紀』に「えびす」という名前の神様の記載はありません。では、どのようにしてえびす様はうまれたのでしょうか?
ヒルコ神がえびす様であるという説と事代主がえびす様であるという説、大きく2つに分かれるようです。
神社の由緒によって違うのでどちらが正しいという事ではありません。
イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれた蛭児(ヒルコ)神が体が不自由だったため天磐櫲樟船(あまのいわくすふね)または葦船にのせられて流されたました。その後、漁師が海で御神像を網ですくいあげ家に祀っていたところ夢の中にでて、自分は蛭児(ヒルコ)の神であると名乗り、西宮に祀ってほしいと言われたそうです。これが、えびす宮総本社西宮神社の由来です。よって西宮神社では国生みの時の蛭児(ヒルコ)神がえびす神となっています。
もう一説。出雲美保神社(島根県)の御祭神のえびす様。こちらは大国主神(おおくにぬしのかみ)の第一子である事代主神(ことしろぬしのかみ)がえびす様とされています。事代主はいつも美保の岬で釣りを楽しんでいました。国を治めていたのは父の大国主です。そこに高天原から天照大神が天孫降臨するので国を譲るように言われました。大国主は自分に代わって息子の事代主がお答えします。と述べました。事代主は天照大神に国を譲ることを約束しました。この国譲りを受託した神様が事代主です。国を天照大神に譲られた父の大国主神は天隅宮にうつられました。天隅宮が現在の出雲大社です。
では、そのえびす様が商売の神様とされたのはなぜでしょうか。
『本朝通紀』に聖徳太子がはじめて市を設けて商売を教えた時、ヒルコ神にちかって商売鎮守の神としたと書かれています。えびす様が商売の神様となった由来のひとつと思われます。
関西のえびす講、江戸のえびす講
『守貞謾稿』(江戸時代後期)を参考に江戸と大阪のえびす講の比較をしてみます。
「江戸では10月19日の夜に大伝馬町1丁目に腐市(くされいち)があり、翌日の蛭子命(ヒルコノミコト)を祀る用の小宮、神棚、切組三方などの道具や蛭子神に供える掛鯛、新漬大根を売る」と書かれています。この新漬大根の漬け方が麹を加えるとあるのでべったら漬けですね。 この頃はべったら市ではなく「腐市」と呼ばれていたのですね。なぜ腐市?えびす様に備える掛鯛がかならずしも新鮮なものではなかったからそういわれていたようです。
蛭子命(ヒルコノミコト)となっていますね。宝田恵比寿のえびす様の由緒は事代主ではなくヒルコ神かもしれません。
10月20日は江戸では「えびす講」、京阪では「誓文払」と言いました。
江戸では漁民、農民、商家などで広くえびす講が行われました。
京阪では呉服、木綿、古着を扱う商家のみで他の商家は誓文払は行いませんでした。京阪の呉服商はこの日は小裁(こぎれ)を売りました。京阪の呉服商以外の商家は家では行わず、大阪の今宮戎社に参拝するのみでした。また、京阪では10月20日より1月10日が盛大で、「十日えびす」と呼び、大阪の今宮戎社に詣でました。商家の人は全員参拝するので立錐の余地もない混み様だったようです。
京阪の今宮戎社への参拝が必須の様子が私が考える「講」のイメージに近いです。江戸では参拝はどうしていたのでしょうか?
江戸時代ではなく明治40年の『中央区史』の記録になってしまいますが、「19日の黄昏から宝田恵比寿神社へ参詣客が引きも切らずに訪れ、」とあります。江戸のえびす講は宴が強調されるような絵や文章を見ますが、それが特徴的なだけであって家でえびす様を祀り、神社へも詣でることもされていたと思われます。
えびす講のしつらえ
北尾重政『絵本吾妻抉』 国立国会図書館デジタルコレクション
商家のえびす講のしつらえがよくわかる絵です。実はこれは蔦屋重三郎家ではないかと言われています。
えびす様に頭を下げる男性の裃についている家紋が蔦屋重三郎の紋にみえます。蔦屋重三郎家だとしたら…女性は奥さんでしょうか?大河ドラマ「べらぼう」では奥さんはおていさんという名前でしたが史実としては不明だそうです。その女性の後ろに小さな子どもがいます。蔦重に実子がいたという史実は残っていないようですが…この絵だとお子さんがいたように見えます。
えびす講のしつらえを見てみましょう。立派ですね!縁起物の千両箱が雛段のようにつみあげられ、えびす様の像の前にはお椀に山盛りにしたご飯、大きな鯛、お神酒、鏡餅、料理が並んでいます。
ちなみに三井越後屋ではえびす様と大黒様両方を祀ったそうです。こちら
さて、さて、宴がはじまります
えびす様を祀ったら、各商家では冒頭の絵のように宴がはじまります。宴と書いてしまいましたがこれはもしや直会(なおらい)ではないでしょうか。えびす様をまつり、商売繁盛を祈った後、直会をする。納得がいく感じがします。
えびす講に呼ばれた多くの人が入り混じり、一尾の鯛や盃、皿にまで値をつけ競り売りの真似事をします。値は千両か万両のみ!手を打って景気よく商運を祈ります。あくまでも「まねごと」なので本当に千両、万両で買うわけではありません。これをえびす講の売買といいます。
酒や料理を飲み食いし、「えびす笑い」と称して踊ったり笑ったりして夜通しにぎやかに過ごしたそうです。
信仰がいつのまにか信仰だけでなく楽しい宴会をする日に形を変えていったのかもしれません。
「夷講旦那の怖く無い日なり」という川柳が残っています。
えびす講は無礼講の日でした。いつも怖い旦那さんに叱られないかびくびくしている商家の奉公人たちにとってえびす講はどんな日だったのか見てみましょう。
商家の奉公人にとっての恵比寿講
日本橋通1丁目(現在はコレド日本橋になっています。コレド日本橋は2026年10月閉館予定)にあった呉服店「白木屋」江戸店でのえびす講はどのようなものだったのでしょうか。
白木屋の奉公人はほとんどが「江州勢州」(近江国、伊勢国)の出身者です。初代大村彦太郎可全が近江長浜の生まれであることと関係しています。多くの奉公人が11、2歳で長浜周辺の村から雇い入れられ江戸へ向かいます。奉公人は男子のみ。(三井越後屋も奉公人は創業者の三井高利の出身である伊勢松坂や近隣の村から江戸へ来ました)
子ども→若衆→手代とステップアップします。
15歳で元服するまでは子ども(一般的に言う丁稚)として昼間は店の雑用や使い走り、商売のイロハを学び、夜は読み書き算盤の勉強にはげみました。子どもの間はお給金は出ません。
その代わり、住み込みなので住居の心配はいらず、食事と着物は支給されるので生きていくには困りません。困りません…といいましたが今で言ったら小学校高学年か中学に入ったばかりの年端も行かない子どもが与えられた食事と衣類のみで心豊かに暮らせるとはとても思えません。お使いで外に出た時に私用を足すのは禁止されています。おやつに焼き芋を買うこともコマを買って遊ぶこともできなかったでしょう。
しかも、江戸に来て初めて帰省できる「初登り」は9年目。年齢は20歳前後になっています。子どもにとっては永遠に感じられるくらいに遠い先ですね。
実は2年目に退職してしまう子どもが多いのです。病気により就業が困難になり国元に返される「病気登り」の他「死亡」も少なからずいたのは痛ましいことです。奉公がいかに過酷だったか想像に難くありません。
その子どもたちにとって「祭礼」の日は息抜きのできる待ち焦がれる日でした。一年を通して、山王祭、八朔、御霊祭、月見、秋祭り、観音市、えびす講など、たくさんのお祭りがありました。祭礼の日は店を閉じ、顧客を招いてお神輿や山車が出るお祭りにはそれを見物してもらい、お酒や食事のおもてなしをしました。
この日ばかりは無礼講。成人の奉公人もお酒が解禁になります(白木屋の場合普段は三十歳まで飲酒禁止でした)。そして奉公人も振舞料理を食べることができました。
普段楽しみの少ない子どもたちにとってはご馳走が食べられてにぎやかに笑ったり踊ったりできる天国のような日だったでしょうね。
トップの絵の一階の左下に前髪のある子どもがいます!これはおそらく「子ども」でしょう。
大人に混じって無礼講を楽しんでいるように見えます。
ご馳走はたらふく食べられたでしょうか?彼が病気などせず元気にこの商家で勤め上げられるよう、えびす様見守ってください……手を合わせてお願いしたくなります。
【参考文献】
『増補 俳諧歳時記栞草(下)』 曲亭馬琴 編 岩波文庫
『近世風俗志(守貞謾稿) (四)』 喜田川守貞 著 岩波文庫
『江戸の庶民生活・行事事典』 渡辺信一郎 東京堂出版
『江戸奉公人の心得帳 呉服商白木屋の日常』 油井宏子 新潮新書
『中央区史 下』東京都中央区 国立国会図書館デジタルコレクション
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