水辺のアルバム

昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~

今回も問題で始まります。佃といえばここ。さて、どこでしょう?
 
 
これは簡単ですね。佃小橋の上から佃堀を見た画像です。当時はまだ、漁村のような風情が色濃く残っていたんですね。実際に漁をされていたのでしょうか。後ろには佃大橋も写っていますが、この頃は晴海までではなく月島までの橋でした。
 
下が現在の佃堀の様子を、同じアングルで撮った画像です。佃小橋は赤い新しい橋になり、船の姿はなくなり、水辺は綺麗に整備されています。
 昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~
 
では、次の問題です。ここはどこでしょう?この石垣やレンガの建物は、今でもそのまま残っています。
 
 昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~
ここは住吉神社の裏側です。下の画像が現在の様子です。この画像からは見えませんが、白い蔵のような建物の裏に、レンガの建物も当時のまま残っています。これは「旧神輿庫」で、竣工は明治43年12月。なんと116年も前の建物です。園子おねえちゃんが寄りかかっている大木は現在なくなっていますが、それらしき切り株が残っていました。そして、石垣は50年前とまったく同じ。積んである石の形がピッタリ同じでした。当然と言えば当然なのですが、「石の形が同じ」というだけで、なんだかグッとくるものがあります。この石垣は一体いつ作られたのでしょうか。116年前なのか、それとも江戸時代なのか……思いは尽きません。
 
一方、ご覧の通り、右側の景色は大きく変わってしまいました。倉庫のような建物があった場所は、現在は池のある綺麗な「中央区立佃公園」になっています。ちなみにこの池には、7〜8年前にはザリガニがいました。うちの子供がまだ小さかった頃、よく一緒に採りに行ったものです。
 
 
 昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~
 
では、いよいよ最後の問題です。見覚えのある橋がありますね。ここはどこでしょう?
 
 昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~
ここに写っているのは、最近「春海橋公園遊歩道」として生まれ変わり、話題になった旧晴海鉄道橋です。興味深いのは、橋の後方(江東区豊洲)にまだ石川島播磨重工の造船所があり、クレーンがたくさん見えます。
 
下が同じアングルで撮影した現在の画像です。晴海鉄道橋は残っていますが、造船所はなくなり、今ではタワーマンションが林立しています。また、春海橋の上には晴海と豊洲をつなぐ新しい橋が架けられました。当時のクレーンの一部は、現在は「ららぽーと豊洲」に遺構として残されています。この画面には写っていませんが、この数秒前の画面には晴海の大きな生コン工場が写っていました。この工場、十年ほど前まで春海橋のすぐそばで稼働していました。
 
こうして見ると、当時の晴海や豊洲は一大工業地帯だったんですね。
 
 昭和47年、チー坊がいた町へ
 ~後編~
さて、前回と今回のブログではドラマ「パパと呼ばないで」に映し出される50年前の佃近辺の風景をご紹介しました。いかがでしたか?ドラマを知ってる方も、そうでない方も50年前の佃の風景は興味深いものだったのではないでしょうか。
 
実は今回、Amazon Prime Videoで再会するまで、僕はこのドラマのことをすっかり忘れていました。ましてや、自分が住んでいるすぐそばの佃が舞台だったなんて、知る由もありませんでした。
50年以上前、まだ中学生だった僕が夢中になって観ていたドラマを、70歳も近くなった僕が、手のひらに乗る小さな「テレビ付き電話」で見ながら、その舞台を探索している――。
時代の変化の大きさと、今こうしてこの場所を歩いている巡り合わせに、なんとも言えない愛おしく、不思議な感覚を抱いてしまいます。
 
皆様もぜひ、チー坊の面影を探しに、佃の街へ出かけてみませんか?

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本ブログにおける「パパと呼ばないで」の画像掲載につきましては、制作会社であるユニオン映画株式会社様より許諾をいただいております。ご理解とご協力に、深く感謝申し上げます。