江戸湊を舟で行く
観光協会からご案内頂いた、株式会社建設技術研究所主催の「江戸東京・川のなぜなぜ舟めぐり」に応募したところ、たくさんの応募の中、抽選で当たり、10月4日に「江戸湊って何だろう」のコースに参加させていただきました。今年の運は使い果たした感じです。この日のコースは、日本橋-日本橋川ー亀島川ー隅田川ー東京湾ー芝浦運河ー京浜運河ー天王洲ピア。東京湾まで、おなじみの中央区を通りました。
スタートは日本橋双十郎河岸、船頭さんとガイドさん、参加者10名、小型のボートで進みます。首都高速道路の地下化は東京駅北側から江戸橋ジャンクションまで、2020年から20年かけて工事が行われ、その後10年かけて地上部の撤去、最短で30年かかる予定だそうです。その頃まで生きていて、日本橋の新しい景色を見られるでしょうか?
江戸湊って何だろう?
江戸湊は、江戸時代、上方(現在の関西地方)からの「下りもの」と呼ばれたさまざまな商品をはじめとし、江戸以外から米、酒、油、乾物などの物資が船で運ばれて集まる一大玄関口でした。江戸湊に集まった物資は、小さな舟に載せ替えられた後、日本橋川や八丁堀などの水路を経由し水路沿いにたくさんあった河岸に運ばれ、陸揚げされました。東京港の前身である江戸湊は江戸庶民に必要な消費物資を運ぶ拠点で、また、江戸のまちづくりにおいても、港と水路は根幹をなすインフラの一つでした。
(建設技術研究所 資料より)
水門の役割
日本橋川水門です。この日は低気圧が来ていて、水面が上がっていたので、小さいボートでも水門を通る時はすれすれです。ここから入る亀島川は護岸が低く、水門で水の量を調整しています。この地域の土地が低いのは、元々海だったところを江戸城築城の折、余った土を埋め立てに使って作った土地だから、だそうです。現在水辺には、あしやよしが植えられています。佃川支川や、月島川、築地川などにも水門があります。
隅田川からの風景
隅田川に出ました。明治から隅田川口改良工事で築港が始まり、月島や芝浦の埋め立て造成が進められました。今高層ビルが立ち並んでいる中で、佃島の一角は昔ながらの低い建物が並んでいます。これは、家康から土地を与えられた漁師が、代々地主として土地を守っているからだそうです。開発が進むにつれ、工場や倉庫が川の下流へ、東京湾へと移っていきました。この後舟はレインボーブリジを見ながら東京湾に出て、芝浦運河に入り天王洲ピアまで、1時間半の旅でした。
建設技術研究所の皆様、大変お世話になって有難うございました。街の骨格を作る仕事をされている方のお話は、江戸から続く風景の見方を広げて下さいました。
築地市場跡地の今
天王洲からの帰りに築地の国立がんセンターに寄って、19階から工事中の築地市場の跡地を見ました。すっかり更地になっていました。2020年を経て、こちらもどのような景色になるのか、土木工事を見るのも楽しみになりました。