築地川跡を歩く!
暫く間さぼってましたが、今回の企画も中央区に実在した築地川の跡をその痕跡を見つけながら歩いてみようというものです。
まず最初に築地川とは、1657年明暦の大火後に海を埋め立て築地を造成する際に、海の一部を埋め残し運河とした部分のことです。
今回は築地川の築地川南支川・東支川を除いた部分、つまり隅田川からの分流地点明石町からあかつき公園を通り、築地川公園を北上し、入船橋付近で西に折れ新富町駅の上を通り、中央区役所付近で再び南下して浜離宮前へと歩いてみました。築地川にはかつて明石橋、南明橋、堺橋、暁橋、軽子橋、入船橋、築地橋、合引橋、三吉橋、亀井橋、祝橋、万年橋、采女橋、千代橋、尾張橋などが架橋されていました。また、築地川は楓川同様、戦後高速道路建設のため大部分が埋め立てられてしまいました。
スタートは明石町ポンプ所からのスタートとなります。
隅田川の分岐地点からの築地川は、かつて「明石堀」と呼ばれており、現在のあかつき公園がほぼ築地川跡となっております。
明石町ポンプ場横には、月島の渡し跡の説明板、そしてあかつき公園入口ではシーボルトの胸像があなたを出迎えてくれます。そして写真は明石橋と南明橋の橋名板の上にのる町の由来の説明石碑を裏側から撮影したものです。今回は町の由来の説明石碑の写真は、割愛させてもらいましたが、橋名板についての記述はありませんでした。ただ、一つ気になることがありました。この二つの橋の位置を考慮すると橋名板が左右反対の方が、よいのではないだろうかと思いました。
さて、こちらの写真はあかつき公園内の紅葉したメタセコイアがあまりにきれいだったのでシャッターを切った一枚です。東京にも遅い紅葉がやってきてました。
そして居留地中央通りを横切り、さらに公園奥へと進みます。
すると、あかつき公園のはずれには、工学院大学学園発祥の地の石碑もありました。
そして、築地川公園に入りますと堺橋の親柱と説明板が目に入ってきます。この付近で築地川は南と北に分流していました。今回の街歩きでは北へと進みます。
以前、この辺を歩いたときはこんな立派な説明板はありませんでした。建設中の聖路加病院の写真なども記載されており、とても興味深いものでした。
それでは、先に進もうとしたらなんと築地川公園(北側)改修工事のため中には、入れませんでした。暁橋の親柱と説明板は公園(南側)に移動してました。以前は公園(北側)に親柱と欄干が残されていたのですが・・・中はどう変わってしまうのか?
この先にはデイキャンプ場などもあったのですが・・・!
また公園東側には浅野内匠頭邸跡があります。
駐車場・駐輪場を越えて進み、右折するとそこには入船橋が見えてきます。この辺一体は築地川の川底であったであろう付近まで、降りることができます。今通ってきた築地川跡には蓋が架けられ、上が公園・駐車場・駐輪場に利用されています。築地公園下には現在でも、トンネル部分が残されています。当初首都高速を晴海方面につなげる計画があったそうです。新大橋通りを横切り、築地橋を経て三吉橋へ到着します。
この三吉橋に首都高への入口跡が残ってますが。実際にはこの先で首都高は新富町出口となり終わっています。三吉橋前の中央区役所前には土佐藩築地邸跡の説明板がありました。
中央区役所前で左折して南へとむかいます。
こちらの写真は三吉橋と亀井橋の間で見つけた落水口跡らしき物です。築地川跡にはこのような落水口跡をいくつか確認することができます。
昭和30年代前半にはここには川が流れていたのですね。
亀井橋、祝橋、万年橋下には水の代わりに車が流れていましたが、それぞれの橋詰には公園が整備され行き交う人々の憩いの場となっていました
そして見えてきたのが采女橋です。築地川はこの付近でカーブしています。橋の後方には新橋演舞場も確認することができます。
この采女橋の欄干の意匠は銀座の柳と築地ホテル館とのことです。
この付近はかつて木挽町と呼ばれ、今でも料亭が残っています。また新橋演舞場もあり、歌舞伎役者が築地川に舟を出し、芝居の宣伝をしたこともあったそうです。
ひと昔前までは、この付近一帯はそれはもう粋な街であったのでしょう。
こちらの写真は、どこかと言いますと、首都高速環状線銀座料金所の横です。築地川の柵らしき物が現在でも残っていました。石支柱部分は渦巻状に加工されており立派な仕上がりになっていました。
この先には、海軍兵学寮跡の石碑と海軍軍医学校跡の石碑があります。
築地川はちょうどこのあたりで分流していました。東支川は旧築地市場を通って隅田川へと合流していました。
今回は続けて南下して汐留方面を目指します。
千代橋、そして築地市場前駅を越えて新尾張橋へと到着します。この新尾張橋は、汐留駅から市場までの引込線の鉄道橋を道路橋に改修した橋です。現在でもこの新尾張橋の銀座側にはあの有名な銀座の踏切が残されています。
今まで目印に歩いてきた首都高速環状線は汐留ポンプの場手前で地下に潜り、汐留川跡へと繋がっています。
そろそろ、今回の街歩きの終点へと近づいてきました。目の前は浜離宮庭園です。築地川は浜離宮庭園と旧築地市場の間にわずかに水面を残しています。
今回の築地川跡は非常にわかりやすかったです。それは築地川に架橋され、現存する橋が非常に多いからです。また、明石橋南明橋の橋名板、落水口跡、築地川の柵などの痕跡を確認でき、かつて築地川が流れていたことを感じることができました。自分にとっても有意義なものとなりました。
皆さん、12月に入り寒い日が続いてますが、外に出て歩きましょう。
きっと新しい発見があるはずです。!