しばしばしばた プロフィール
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関東大震災から100年 ― 復興小公園をたずねる
今年の9月1日で、1923年に発生した関東大震災から100年が経ちます。今回の記事は、この節目に、関東大震災からの復興の軌跡に触れられる場所をひとつご紹介したいと思います。 中央区では、地震動とその後の大規模火災により、区内の大半が焼失する甚大な被害が発生しました。関東大震災からの復興においては、昭和通りや大正通り(現・靖国通り)をはじめとする幹線道路の整備とそれを中心とした土地・区画の整理、隅田川の復興橋梁の建設、築地市場の建設、浜町公園の建設などが進められました。まさに、現在に通ずる中央区の街の骨格が関東大震災からの復興期に形作られたと言えます。 ここでもう2つ、関東大震災からの復興事業に含まれる大事な事業があります。それは復興小学校と復興小公園の整備です。 復興小学校は、震災前には珍しかった鉄筋コンクリート造の小学校を各地に整備したものです。燃えず、地震にも強く、かつ都市の美観にも資する小学校は、周辺の街にとって復興の象徴であったのではないでしょうか。泰明小学校や常盤小学校など現存・現役のものもあり、丸みのかかった窓など瀟洒なデザインがよく知られています。復興小学校に比べると知名度が低いかもしれませんが、同時に復興小公園というものも整備されました。復興小公園は、復興小学校の隣接地に公園を整備し、狭い校庭を補完しつつ、地域のコミュニティ形成や防災のための場所として使われることが想定されました。 現在の中央区に相当する日本橋区と京橋区では、計24校の復興小学校が建設され、そのうちいくつかに隣接して11箇所の復興小公園が整備されました。加えて、復興小学校に隣接する既存の公園3箇所でも、復興小公園に準ずる再整備が行われました。冒頭の地図に、一覧を示しています。(「東京市教育施設復興図集」をもとに筆者作成。背景は国土地理院の「淡色地図」を使用。)
歴史・文化人形町周辺しばしばしばた
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芭蕉 が見える 場所
江戸時代の俳諧師を代表する存在といえば、松尾芭蕉(1644年~1694年)。松尾芭蕉と中央区の関わりとして、芭蕉が故郷の伊賀国から江戸に出てきたあと8年間、小田原町(現・室町一丁目)の借家に住んでいたことが知られており、室町一丁目には「発句なり松尾桃青宿の春」の句碑が立っています。そのほか、区内にはいくつか芭蕉の句碑が立っており、これまで特派員の皆さんが記事に取り上げてくださっています。特派員ブログの検索窓で「芭蕉」と入れて検索すると、特派員の皆さんの読み応えのある記事がヒットしますので、ぜひご確認ください! さて、そんな句碑の数々のほかに、芭蕉の「像」を見ることができるスポットがあるのをご存知でしょうか…?それが、この写真に写っている、みんな大好き「清洲橋」です。
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