明治を感じる・日本銀行と常磐橋
新型コロナウイルスの影響で、皆様もたいへんな状況を過ごされているかと思いますが、そんな中、わたしは鈍った体を解消しようかと、桜が開花しているであろう日本橋エリアを歩いてきました(3月20日金曜日午後)。
この場所は、日本銀行と貨幣博物館の間にある通りで、名前は「江戸桜通り」。桜が花開く場所として中央区の中でも有名なところです。思っていたよりも花が開いているところがあり、通りすがりの方もスマホを花に向けていらっしゃいました。暖かい日が続いているので、これから一気に満開まで進むかもしれません。
「江戸桜通り」という名前は、歌舞伎の『助六由縁江戸桜』にゆかりがあるのだそうで、通りにある道標の碑文は十二代市川團十郎によって書かれたものです。でも実際にこの通りを歩いてみると、重要文化財の日本銀行本店本館、三井本館、三越日本橋本店といった明治以降の歴史的建物が集中していることがわかります。なので江戸時代というよりは明治以降の歴史的雰囲気を感じられる場所と言えるかもしれません。
写真に写っているのは日本銀行で、建築家の辰野金吾の設計により明治29(1896)年に完成しました。ここで桜の写真を撮るのなら、こういった歴史的な建物とあわせて撮るのがよさそうですね。満開になって、もしこの通りを通られるようでしたら、ぜひ建物にもカメラを向けていただけたらと思います。
常磐橋の工事では親柱の設置中
日本銀行近く、日本橋川に架かる常磐橋の工事も覗いてみました。昨年10月末に来た時よりはだいぶ工事が進んでいて、橋の上には白い「中柱」が立っていました。
昨年10月末の記事 → ★こちら★
作業の様子を見てみると、なんと、親柱の設置が行われている最中でした。宙に浮いている白いヤツです。大理石なんだそうです。
親柱というのは、橋を渡ろうとした時に橋の入り口付近にある柱のような構造物で、よく橋名が書かれていたりします。普通の橋であれば、親柱の数は合計4つなのですが、この常磐橋の場合は2つで1セットになっているので、合計8つあるのが特徴です。さらにその形は八角形で、1セットの親柱の間は「袖高欄」によって結ばれています。
こちらの袖高欄も石造りになっていて、ネットから探した情報だと、今回わざわざ瀬戸内に浮かぶ小豆島で補修が行われたのだそうです。これから設置となるようですが、完成した姿は、思っていたよりもゴージャスな姿が想像でき、かなり楽しみになってきました。
この石造りの常磐橋が出来たのは明治10(1877)年。重要文化財となっている今の日本橋が明治44(1911)年架橋ですから、それと比べても破格に古い橋です。明治10年といえば、歴史的には西南戦争があった年で、中央区内で言えば、あの銀座煉瓦街が完成した年。今まで残っていたのは奇跡としか言いようがありません。
いろいろ考えてみると、今の中央区で明治時代を感じることができる場所としては、日本橋を除いては、日本銀行と常磐橋のあるこの場所が一番な気がします。
新型コロナウイルスによる自粛ムードのなか、皆様いろいろな工夫をされていて、例えば隅田川テラスや浜離宮庭園では、いつもにも増して日本人の家族連れの方々が楽しまれているような気がします。
そのような中、日本橋エリアの江戸桜通りの桜も、いつもの年のように咲いておりますので、もしこの通りを歩かれるようでしたら、桜と一緒に明治時代の雰囲気を感じ取ってみてください。