石も時代の語り手!越前堀跡に見た江戸の町
こんにちは。アクティブ特派員Hanes(ハネス)です。
前回の「霊岸島七不思議」の記事で予告した通り、今回は不思議が残る霊岸島の中でも越前堀と松平越前守屋敷に注目してみたいと思います。
越前堀とは
そもそも越前堀とは、江戸時代において現在の新川1~2丁目のエリアにあった松平越前守屋敷の三方を囲む入堀を指す通称でした。
その堀の幅はなんと20~30m程もあり、荷を積んだ小舟が行き来する等、運河としての機能も果たしていたというのだから驚きます。
一時は江戸市中の大名の生活をも支えたこの堀は、明治になってから徐々に埋め立てられることに...
屋敷跡は「越前堀」という町名になったものの、戦後には現在の「新川」に改称。
トップの写真に見られる「越前堀児童公園」は、「越前堀」という地名があった時代を偲ぶ唯一の場所となったと言っても過言ではありません。
現在その公園を取り囲んでいるのは、運河の機能を有した堀ではなく、がっしりとした石の数々!
中央区内には大小様々な公園が点在し、それぞれが異なる目的や特徴、管理形態を持っています。
しかし、このような石で囲まれた公園は珍しいのではないでしょうか。
「石で囲まれた公園なんて珍しくないよ」と思われた方、実はこの石、ただの石ではないんです^^
石の正体
気になる石の正体、それは日本橋川にかかる雉子橋(千代田区)付近から出てきた石垣の一部!
江戸城およびお濠の石垣建設は、各国の大名の協力のもと進められた大事業で、多くのお金と労力がかかりました。
そんな各大名、組頭、石工等がその事業に携わったという証は、これらの石に刻まれた目印等に見ることができます。
さらにもう1つ!
こちらの案内板にある通り、越前堀の護岸の石垣石もまた公園内で見ることができます。
出土位置や越前堀の石積の断面も分かりやすく示されており、児童公園ではありますが大人も楽しめます♫
展示されている石がこちら。
矢穴が当時の職人技術を物語っていますが、ぜひ裏側からも見ていただきたいです。
本当は実際に訪れて見ていただきたいのですが、外出自粛中ということもあり裏側も合わせてご紹介します!
そうなんです。裏側から見ることで、案内板にある石積のイラストと照らし合わせながら当時の石垣をよりイメージすることができるのです。
町名「越前堀」の名残はもはやここのみという状況になりましたが、堀自体の名残は実は公園外でも見られるのです♪
街にカモフラージュした間知石
その場所というのが、新川2丁目の交差点付近。
人知れず「越前堀の間知石(けんちいし)」という史跡があるのはご存知でしたか?
この植え込みにカモフラージュするかのように埋め込まれた大きな石は、かつてお堀の石垣の根石としての機能を果たしていました。
このように、ふとした瞬間に江戸の情景を思い起こさせてくれる史跡は大好きです。
よく見ないと分かりませんが、堀や川の跡等は地形や路上のわずかな傾斜からも分かるようです。
見慣れた風景であっても、思わぬところに新たな発見があるのかもしれません。
現状が落ち着いた頃には、また暗渠を歩いてみたいと思います。