人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑨
~ 笠間稲荷神社 東京別社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をライブリーに取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、今回は第9回、笠間稲荷神社 東京別社(かさまいなりじんじゃ とうきょうべっしゃ) をご紹介させていただきます。
上の画像は正面の鳥居です。
なお、掲載につきましては、神社の方にご了解をいただいております。
それでは・・・
最初に、笠間稲荷神社 本社につきまして
笠間稲荷神社 本社は、茨城県笠間市にあります。
別名「胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)」、「紋三郎稲荷(もんざぶろういなり)」です。
胡桃下稲荷につきましては後の項「御朱印帳」でご説明します。
紋三郎稲荷とは・・・
江戸中期、笠間藩第13代藩主・井上河内守正賢(いのうえかわちのかみまさかた)という人の一族に「門三郎」という人がいました。
利根川流域中心に多数の人々に功徳を施し信仰を広めたことから「お稲荷さんの門三郎」との名声を博しました。
いつしか「門」が「紋」に変わり「紋三郎稲荷」と呼ばれるようになった、とのこと。
五穀豊穣・商売繁昌の神様として、日本各地から多くの参拝客が訪れます。
諸説ありますが、京都市の伏見稲荷大社・豊川市の豊川稲荷とともに「日本三大稲荷」、とされています。
創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651年)と伝えられています。
その後星霜を経て桜町天皇の御代、寛保3年(1743年)には、前出の笠間城主・井上河内守正賢により社地社殿が拡張されました。
また、延享4年(1747年)牧野貞通(まきの さだみち)が城主となりますと、先例により祈願所と定められ、境内地・祭器具等が寄進されました。
以来、歴代の藩主の篤い尊崇を受けました。
なお、本殿は江戸末期の安政・万延年間(1854年~1860年)の再建です。
銅瓦葺総欅(どうかわらぶき そうけやき)の権現造(ごんげんづくり)で、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
御本殿周囲の彫刻は、当時名匠と言われた後藤縫之助の作「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」弥勒寺音八と諸貫万五郎の作「蘭亭曲水の図」等、実に精巧を極めています。
【笠間稲荷神社HPより抜粋】
笠間稲荷神社 東京別社につきまして
笠間稲荷神社 東京別社は、旧笠間藩主・牧野氏の邸内社でした。
今から約3百数十年前の延宝9年に、牧野成貞が5代将軍綱吉から下屋敷として拝領した土地で、現在の久松警察署前の小川橋・蛎浜橋辺りから隅田川に至る21,269坪(約7万㎡)の広さがありました。
邸内には広大な屋敷と庭園、泉池を設け、築山には稲荷・山王・八幡を祀っていました。
延享4年に牧野貞通が笠間の入封しますと、御本社胡桃下稲荷神社を祈願所としました。
牧野貞直も御本社を崇敬し、安政6年御分霊を江戸下屋敷内の現在地に合祀奉斎し崇敬の誠を尽くしました。
初午(はつうま)の日には日本橋界隈の町民に門戸を開けて、参拝を許した、と云われています。
廃藩後、牧野公邸は本所緑町に移転し、明治21年には牧野家の願いにより笠間の本社が奉祀するところとなりました。
大正12年9月、関東大震災により社殿を焼失、ただちに再建されています。
昭和20年3月、東京大空襲によりまたも社殿焼失、復興には大変苦慮しましたが同年12月に本社の援助によりご本殿と仮社務所が出来上がり、昭和28年9月には御崇敬者の尽力により拝殿の再建に至りました。
日本橋を中心に、紋三郎稲荷として篤い信仰を集めるとともに、京浜地区の笠間稲荷神社の崇敬者に参拝の利便を計っております。
このシリーズの前回⑧ 「茶ノ木神社」の記事でも申し上げましたとおり、現在は寿老人を合祀する神社として「日本橋七福神」詣りの一神社となっています。
【こちらも笠間稲荷神社HPより抜粋】
御朱印帳
各1,500円(朱印料含む)
4年ほど前には、歌手の相川七瀬さんデザインの御朱印帳もありましたそうです。
茨城の笠間稲荷神社本社と一緒に販売されていました。
きっかけは、相川さんが茨城県鹿嶋市の観光大使「かしま大使」をされているから、とのこと。
ご主人が茨城出身で、そこから鹿島神宮、笠間稲荷神社と神社つながりで縁ができたようです。
相川さん、もとより元祖「神社ガール」的な立ち位置もされていましたから。
東京別社のここでも出されていた、という次第ですが、今は販売終了となっています。
ですので画像はここではご紹介できませんが、インターネットでは画像紹介がされているようです。
藍色の地に、表には可愛い金色・白ツートンカラーのキツネと赤い鳥居、裏には白いクルミが描かれています。
キツネは稲作の害獣であるネズミを退治してくれる、穀物の神様の使いですね。
クルミの木の下に創建されたのが、「笠間稲荷神社」本社。
それで「胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)」とも言われている、とのこと。
それでクルミのデザインでしょうか。
交通安全・身体健全お守り
それぞれ異なった花柄のお守りとなっています。
健康長寿お守り
金色の寿老人が刻印されています。
お守り各種
「幸」一文字も、とても粋なお守りです。
久松警察署側の鳥居(一の鳥居)
後ろに「二の鳥居」があります。
正面の鳥居と合わせ、3つの鳥居があります。
石碑
今回も、前回に引き続き古典落語を少々。
「紋三郎稲荷」
笠間藩藩士・山崎平馬は江戸勤番となりました。
しかし風邪で寝込み3日遅れで江戸に出立します。
寒さ除けに狐皮の胴服(狐のコート)を着て、
・・・
取手の渡しを渡り、駕籠屋(かごや)と交渉、松戸まで800文で請け負うと言うのに一貫文(1000文)払うと答えます。
駕籠屋同士が「気前がいいな、お狐様か?」とヒソヒソ話。
それを聞いた平馬、狐の胴服が幸いといたずら心を発揮、「笠間紋三郎稲荷の眷属(けんぞく:従者)である」と言い放ち、茶店ではいなりずしを食べたりします。
松戸宿の本陣(宿屋)に着き、駕籠屋には約束通り一貫文を払います。
駕籠屋はお狐様のことを宿の主人に話します。
宿からたいそうなもてなしを受け、隣りの部屋からもおひねりを投げ込まれたり、
・・・
翌朝こっそり裏庭から抜け出ていきます。
すると裏庭にありました稲荷の祠(ほこら)から2匹の狐が出てきて、平馬の後ろ姿を見て、
「へえー、人間は化かすのがうめえや」
・・・
笠間稲荷神社 東京別社
日本橋浜町2-11-6
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A4出口の久松警察署・明治座さん側(人形町交差点側ではありません)を出て右へ少し。
金座通りを約270m、久松警察署前の信号を渡り、すぐ。
駅から徒歩約5分。
金座通りの、久松警察署ななめ向かいです。