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初鰹(かつお)

   先日、谷崎潤一郎氏の、関東・関西の食味についての評論について投稿したら、その後、「yaz」さんが、「江戸っ子」についての小生の過去の投稿について触れていただいていることを拝見し、うれしく思いました。

 

    実は、谷崎潤一郎氏の食味についての投稿は、以前の投稿を再編集(“焼き直し”)したもので、数年も経てば、ブログの投稿など忘れられているのだろうと思って、再投稿したのですが、記憶されている方もおられるのですね。

 

   ところで、以前の「江戸っ子」についての小論では、以下のように述べました。

 

>関西人である私は、「江戸っ子」という言葉というか人種に対して生理的嫌悪感を感じ、海保青陵(1755~1817) による「江戸ものは小児のやうなり、馬鹿者のやうなり、甚だ初心なり」(升小談)という論に共感、同感してきたのであるが、「元来の江戸」というべき日本橋の歴史・文化を知り、はじめて、「江戸」、「江戸っ子」に対して、反感のない理性的認識を持つことができるようになったと思う。

 

 しかしながら、「江戸っ子」の習俗?として、小生が理解できなかったものに「初鰹(カツオ)」があります。 最近の投稿で、Hanes さんが、小林一茶の「大江戸や 犬もありつく 初鰹」という句を紹介されていますが、そもそもが、鰹の刺身など、格別に(法外に)高い価格を払うほどのものとは(私には)到底思えません。

 

    江戸における初鰹賞味流行の背景分析について、以下、宮本又次氏の論(『関西と関東』文春学藝ライブラリー)に依拠しながら述べます。

 

    江戸で初鰹の献上が始まった寛永のころ、鰹の刺身などは上方人の賞翫しないところでした。その後、初鰹の値段は上がっていくのですが、その頃の文献に、「花のお江戸の繁昌は初鰹が四貫(一両)しても五貫してもかまはず買って食ふ。まことに他国の人のしわい目から見ては、銭のさしみを食ふ様に見ゆるなり、しかし此の高いのでなければ初鰹ではござらぬ」とあります。つまり「高いからうまい」と考えるのです。いわゆる「誇示的消費」であったのでしょう。

 

 「この異常なる嗜好と美味の誇張には上方に対する『はり』があったと思われる。つまり瀬戸内海をひかえる大阪には鰹がなかった。江戸にとってのみの特産である『かつお』を食うべしというのがその主張で・・・・主として上方人に対する肩いからした虚勢があったと思われる」(宮本又次)

 

    大阪では、初物賞翫の風はあまりなく、鯛であっても、出さかった旬の時のもっとも安く美味のときを選んで食べます。これを魚島時(陰暦3月から4月にかけて瀬戸内海で鯛が多くとれ、大阪で安くうまい鯛が食べられる時期;広辞苑)としています。 大阪人の考え方が合理的で利口であることは明らかでしょう。こういう点からも、大阪人は「江戸っ子」なる人種を「江戸ものは小児のやうなり、馬鹿者のやうなり、甚だ初心なり」と見たのでしょう。

 

  『浪花の風』(大坂町奉行久須美祐雋(すけとし)が在職期間中の安政二年(1855)五月~文久三年(1862)八月までの間に、任地大坂で見聞したことを、江戸と比較しながら書き記したもの)では、「当地にて初ものなど賞翫せざるにあらざれども、左様の食味に金銭を賞するものは多くは相応の身元のものにして、江戸の如く漸く其日を送る卑賤のものなど、着し居る衣服を脱し、忽ちにして一夕の新味に替ることなどいふこと絶えてあらざるなり」と述べられています。

 

  「江戸の如く漸く其日を送る卑賤のもの」という表現がスゴい(笑)。これ、年代から見れば、わずか150年前の文献です。

 

 「相応の身元」でもなく、「漸く其日を送る身」でありながら、初ガツオ程度のものに大金を消尽する人種など、まさに、「小児のやう、馬鹿者のやうで、初心、卑賤のもの」というほかないでしょうね。