ケアリイ

『帝都急行汽船』の謎

 

上記の図は、昭和の初めに発行されたとされる「帝都急行汽船運行系統図」という地図の、現中央区のあたりをトリミングしてみたものです。凡例によれば、赤い実線は既存航路、赤い丸印は(既存の)「汽船発着場」、赤枠の四角印は「未定汽船発着場」だそうです。

 

まさに水都、区内の運河を縦横に汽船が駆け巡り、発着場もいたるところにあった

 

・・ように見えますよね。「おお、こんなところにも発着場が!」と、思わず引き込まれてしまう地図です。

 

この地図、左下隅に『帝都急行汽舩株式會社創立者編輯』という奥付のようなものもあり、出典の明らかな歴史資料、のようにも思えます。(上図の左側)

 

が、しかし・・・・

とても有名な「帝都急行汽船運行系統図」

とても有名な「帝都急行汽船運行系統図」 『帝都急行汽船』の謎

「帝都急行汽船運行系統図」(原文は『帝都急行汽船運轉系統圖』)でググると膨大な数の記事や画像がヒットしますが、そのどれもがただ1つの資料を指しているようです。

2005年には(今は亡き)人文社から「復刻古地図」として出版されていた(上図左)ことから、この地図自体はかなり世の中に出回っていたようで、参考資料として採用している書籍や論文も多数あるようです。

中央区謹製の「中央区沿革図集 日本橋編」にも資料として収録されていますので、ご覧になったかたも多いかもしれませんね。

 

ほかにも、たとえば「近代東京における都市内水上交通の拠点空間」は土木学会がインターネット公開している論文ですが、帝都急行汽船運行系統図に記載のある58箇所の発着場についてその立地を詳しく調べ、「近代東京における拠点空間の立地特性のまとめ」としてパターン化を試みているというものです。

 

また、「帝都復興事業により設置された橋詰広場の現況 -東京を対象として-」という論文でも、昭和初期の水運経路として取り上げられています。

このように、帝都急行汽船運行系統図自体は、「疑う余地の無い資料」としての扱いになっているようです。

しかし・・・

帝都急行汽船株式会社とは?

帝都急行汽船株式会社とは? 『帝都急行汽船』の謎

これだけ人口に膾炙している「帝都急行汽船運行系統図」なので、「帝都急行汽船株式会社ってどんな会社だったんだろう??」「創立者編集」となっている「創立者って誰だろう?」と興味を惹かれました。

 

ところが、「帝都急行汽船」で検索しても、上記の地図以外はまったくヒットしません。唯一、「葛飾区史編さんだよりというpdfの中で、「(近所の)ポンポン蒸気船のことを帝都急行汽船と呼んでいた」というような一文が見つかったくらいです。

 

もちろん、ネットでヒットしなかったから「歴史上存在しなかった」と考えてしまうのは短絡的過ぎるので、関連しそうな文献を地道にあたってみることにしました。

探しても探しても・・・

探しても探しても・・・ 『帝都急行汽船』の謎

色々調べていくと、昭和初期に出された「大東京地典」という本の付図:「交通詳解 大東京案内」に、当時の乗合蒸気船の航路図が会社別に収録されていることがわかりました。(上の図は昭和7年版の「隅田川機船」の箇所)

都庁で売っている「都史紀要35「近代東京の渡船と一銭蒸気」(平成3)の付録としても昭和7年版の一部が収録されています。

 

微妙に年代が異なる航路図集も見つかりましたが、いずれにも「帝都急行汽船株式会社」という名称の会社は見当たりません。。船の歴史といえば「船舶史稿」ですがここにも存在せず(これは私が実際に調べてみたのではなく、海事図書館さんのご意見)、新聞記事を集めた「中央区歴史年表」も丹念に当たってみましたが空振り。

 

そして極めつけというか、大正元年以来毎年発行を続けていた「銀行会社要録」(登記されている全ての会社の情報を掲載)にも、「帝都急行汽船株式会社」という名称を見つけることができなかったのです。

 

この会社、果たして実在していたのでしょうか・・・???

個人的な推測ですが・・

個人的な推測ですが・・ 『帝都急行汽船』の謎

東京湾・隅田川を舞台として、誕生しては消えていった水運会社は数多くありますが、現在まで歴史が辿れる会社があるという意味では、大きくは3つの流れだったのかと思っています。

 

1つめは、明治初期に通運丸(錦絵にも描かれていましたね)で名を馳せた内国通運。いまの日本通運の前身です。こんな記事を書いたこともあります。

2つめは、現在では東海汽船となっている東京湾汽船。これについてはトピックス的な紹介ですが、こんな記事を書きました。

そして3つめが、現在の東京都観光汽船につながる流れです。

 

2010年に「観光舟運による都市再生・地域活性化フォーラム」が開催された際、当時、東京都観光汽船の顧問であった酒井邦夫氏が「隅田川汽船(ママ)から東京水上バスを経て東京都観光汽船に至った歴史」についても説明されています。

 

いっぽう大東京案内によれば、隅田川機船が存在していた当時、ライバル企業というか、隅田川などを舞台として同様の水運業を行っていた会社は10社前後もありました。隅田川機船、東京通船、吾妻急行汽船、千住汽船、東京大川汽船、東京巡航船、江東巡航汽船、東京通運、東京汽船、城東汽船、東都急行船、等々・・・(注:すべて同時期に存在していたというわけではありません

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「帝都急行汽船」という名称だけであれば、これら多くの会社の総称として使用されたのではないかとも思われますが、「帝都急行汽船株式会社創立者編集」と書かれていることから推測すると、

多くの水運会社の統合化」を、創立者の気分で構想した人がいたのかもしれないですね。

とはいえ、当時の水運会社の発着場すべてを網羅しても「帝都急行汽船」の発着場の数には遠く及ばないので、かなり「ぶっ飛んだ」構想だったような気もしますが・・・

 

そして、会社自体は設立できなかったものの、設立前の「構想図」だけが「帝都急行汽船運行系統図」として独り歩きしてしまったのではないか・・・というのが(探し疲れた)私の推測です。

 

もちろん私の調べ方に穴があった可能性もあります。特に銀行会社要録などはあいうえお順ではなく「いろは順」の掲載なので辿るのに苦労しました・・・。ので、どなたか是非、「帝都急行汽船」の謎を解き、実在・非実在を証明していただければ嬉しいです。