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京橋郵便局(2)

先に、築地4丁目に在りながら「京橋郵便局」と称しているという、『なぜこの名前のものがここに?』について述べました。

 

https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=1672

 

 さらに正確に沿革を調べると、そもそもは、明治37年(1904)「東京京橋郵便局」として、京橋区銀座一丁目に開設されたものが、明治39年(1906)に「京橋郵便局」と改称されたようです。

明治37年(1904)当初の所在地は京橋区銀座一丁目でしたから、「京橋郵便局」という名称は、それほど実所在地と乖離していたわけではなかったようです。しかし、それでも、当初から、銀座1丁目に在りながら「東京京橋郵便局」と称したのは、「東京市京橋区」の基幹的郵便局だったからということでしょう。

 その後は、平成19年(2007)10月、郵政民営化にともない、郵便事業京橋支店、ゆうちょ銀行京橋店、かんぽ生命京橋支店となり、平成22年(2010)には、郵便事業京橋支店が晴海に移転したことにより、郵便事業晴海支店京橋分室となり、平成24年(2012)10月からは、日本郵便株式会社の発足に伴い、「晴海郵便局京橋分室」となっているようです。

 そもそも、現在の「中央区」は、昭和22年(1947)3月に、東京が22区制(その後23区に)となり、日本橋区と京橋区が統合されてできたものです。そして、この日本橋区と京橋区は、明治11年(1878)に、郡区町村編制法が施行され、東京府内に15区6郡が置かれた際にできたものです。

 この東京府に15区制ができた際には、北江戸区、南江戸区という名称案もあったようですが、結局は、日本橋区、京橋区という名称に決まりました。現在の知名度からすると、京橋区よりは銀座区と称する方がよかったような気もしますが、明治11年当時では、銀座は伝統からしてもそれほど評価されず、京橋地域の方が勝っていたからかと思われます。

 商家でも、明治の初年ごろまでは、本当の一流は、京橋の擬宝珠と日本橋の擬宝珠の地帯に在るものを指したようです。 また、三遊亭圓生の落語『江戸散歩』でも、一流の噺家を喩える際に、「“擬宝珠の間の噺家”なんて言葉を使いましたもので。『あの人は擬宝珠のあいだだね』なんてエことを云いました」などと言っているようです。当時は、この地域の寄席でもてはやされる噺家が一流だったようです。

 その後、中央区HPによると(2020年10月1日現在)、人口総数170千人、京橋地区41千人、日本橋地区52千人、月島地区78千人となっており、月島地区人口が区全体の45.7%、(銀座、築地エリア等を含む)京橋地区の倍近くになっていますから、現在の中央区内で、日本橋地区(旧日本橋区)を除くエリア全体を指す名称として「京橋」を使うことには違和感があるのではないでしょうか。

 庁舎も、中央区役所、日本橋特別出張所、月島特別出張所の3庁舎に、図書館も、京橋図書館、日本橋図書館、月島図書館の3館体制にされていることは当然でしょうね。