三原橋は何処へ
昭和通りと晴海通りの交差点は三原橋となっていますが、
実際に三原橋が存在していたのは、もう少し銀座4丁目交差点寄りでした。
この写真は2017年11月のもので、まだ工事中でした。
かつてはここの地下に商業施設があり、その中に映画館があって何回か見に行ったことが
あります。上は晴海通りで当時都電が行き来していたので、その度にゴトゴトと館内に
響いていました。
今年の夏のことですが、三原橋付近を歩いたのは数か月ぶりで工事は完了し、
ここに橋があった面影もなくなりました。
このように、夏はミストで暑さをしのげます。
東銀座~銀座の地下道もリニューアルされ壁面にこの付近の歴史的写真があります。
これは、三原橋だそうです。
右上の大きい建物は歌舞伎座で、復興の東京1923年と記してあります。
三原橋は三十間堀に架かる橋で江戸初期はここが海岸線で、日比谷入江を埋め立てた際
ここを埋め残して作られた水路だったとのことです。
この川が埋め立てられたのは昭和24年頃で、埋め立ての理由は終戦後占領軍が
東京都に対して残土やがれきの片付けを命令したのですが終戦後のことなので、
重機やガソリンなどの燃料もないので、近くにあったこの川に投げ込んだためだそうです。
京橋付近から三原橋方面。この通りあたりが江戸初期の海岸線だったようです。
三原橋に限らず、数寄屋橋・京橋・新橋・日本橋・江戸橋など、多くの橋は撤去され
川は埋め立てられて、地名だけが残っているところも少なくありません。
この付近を訪れた時は、かつて「橋があった」「川が流れていた」ことに
思いを巡らしてはどうでしょうか。