人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.33
~ 永久稲荷神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をパワフルに取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第33回の今回は、永久稲荷神社(えいきゅういなりじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
外観はとても「神社」には見えません。
恐らく100人が100人とも、です。
お賽銭箱がありますので、参拝ムードとなります。
箱崎町河岸の産土神(うぶすながみ)です。
裏に回りますと、小さな社があります。
今回も江戸古典落語をご披露させていただきます。
第25回です。
今回は「阿武松(おうのまつ)」をチョイスしました。
「永久稲荷」の「永」の字より、『永遠に名を残す』横綱出世街道の噺です。
<事前確認コーナー>
阿武松緑之助(みどりのすけ)・・・
第6代横綱、実在の江戸時代の大相撲力士です。
現在、阿武松部屋、阿武松親方、そして幕内力士で阿武咲(おうのしょう)さんがいらっしゃいますね。
「阿武松」は長州萩(現在の山口県萩市)の名所「阿武の松原(おうのまつばら)」からとったようです。
名付けにはひいき筋の長州公が関係している、とのこと。
なお、阿武松親方と同様、武隈(たけくま)・錣山(しころやま)も大相撲の年寄名跡として残っています。
観世新道(かんぜじんみち)・・・
現在の「銀座ガス灯通り」と云われています。
「京橋の」と、噺では説明されていますが、銀座3丁目・4丁目辺り。
銀座和光、ご存知ですよね、その表通りを「中央通り」としましたら裏通りとなるのが「銀座ガス灯通り」、と申し上げるとわかりやすいでしょうか。
「銀座ガス灯通り」につきましては、噺のご紹介の後でご説明させていただきます。
「阿武松」
相撲取りを目指し能登の国から京橋の観世新道の関取・武隈文右衛門(ぶんえもん)を訪ねてきた長吉、小車(おぐるま)というしこ名をもらい弟子になりますが、・・・。
日に3升のお米を食べる大食漢、これが仇となり1分のお金を持たされて暇を出されてしまいます。
中山道を通り故郷へ帰ろうとして、板橋宿の辺りで死を覚悟、旅籠(はたご)に泊まり、身投げの前にせめてご飯をお腹一杯食べてから、と。
宿に1分のお金を渡し、飯ばかりを注文、食べ始めます。
その食べっぷりを宿の主人・橘屋善兵衛が見に来ます。
善兵衛に、破門された経緯を話しますと、それならと根津の錣山親方を紹介されます。
序の口では以前錣山親方が付けていた「小緑(こみどり)」から、入幕して「小柳(こやなぎ)」と名乗ります。
そこで元の師匠・武隈と対戦、見事に投げ飛ばして喝采を浴びます。
やがて「阿武松緑之助」と名乗り、横綱を張る大出世をした、といいます。
ここは永久稲荷神社の建つ日本橋箱崎町ではなく、銀座。
阿武松の最初の師匠・武隈の部屋があったとされる通り、「観世新道」。
現在の「銀座ガス灯通り」、銀座4丁目辺り。
背にしているのが銀座3丁目。
この通りの前方、晴海通りにあたった左側が「銀座和光」です。
そして自動車の前のガス灯、その台座に張り付けられていますのが、下画像の「銀座のガス灯」説明板。
「銀座のガス灯」の説明板。
ガス灯が日本で初めて敷設されたのは横浜で1872年明治5年のことでした。
2年後の1874年明治7年には銀座の街にも灯るようになり、ガス灯は文明開化の象徴といわれ当時の話題にもなりました。
このガス灯は1985年(昭和60年)東京ガス百周年を記念して復元しました。
【図は広重(3代)画】
「東京名所図会、銀座通り煉瓦街より部分」
暮れなずむ銀座1丁目付近で、点消方(点灯夫)が2本の棒をあやつり、ガス灯に火を入れるところ。
永久稲荷神社
日本橋箱崎町22-11
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A2出口を出て、前の「人形町通り」を右(車の一方通行の反対方向)へ。
水天宮を越えて続く「水天宮通り」も含め約550m、東京シティエアターミナルを越えて最初の信号右折、次の角を右に曲がりすぐの右にあります。