迫力あります、人形町大観音寺の鉄造仏頭
人形町通りに面する大観音寺(おおがんのんじ)は浅草寺を本寺とする、聖観音宗の寺です。高さ1.7m、幅約54cmの大きな鉄製仏頭、鉄造聖観世音菩薩のご本尊で知られます。そのご本尊が開扉されるのが毎月11日と17日。その日はお前立観音像の後ろの扉が開いて、ご本尊を窺うことができます。
でも、開扉されても、背後には黒い影のようなものが見えるだけ。もっと前へ行きましょう。そして、横から拝みましょう。
迫力あるでしょ!仏頭の高さは1.7m。ちなみに、鎌倉の大仏の顔は2.3mです。
百度石と井戸
本堂へ続く石段手前に百度石があります。百度石と本堂との間を百回往復するのが百度参りです。
参拝の帰り道、百度石の裏手で井戸を見つけました。鉄のレバーを押して水を汲み上げます。飲むとご利益がありそうですが、「飲めないよ」とのこと。
鎌倉時代、北条政子が京都清水寺に帰依する際、鎌倉に鉄造菩薩頭を本尊とする新清水寺を創建しました。1258年、寺は火事で焼失。寺僧は焼け落ちた寺の中から仏頭を拾い出し、井戸の中に移しました。しかし世代が変わるにつれ、仏頭の存在は忘れ去られ、江戸時代になって井戸の中(鉄井 くろがねのい)から発見されました。明治初年に神仏分離令が出されると、それを廃仏毀釈と捉えた住民が仏頭を由比が浜に打ち捨てようとしました。それを見た、人形町の住民、石田可村、山中卯基地が鎌倉から運び出し、大観音寺に安置したのです。その後、関東大震災で寺は焼けますが、仏頭は無事。近くの町を焼き尽くした東京大空襲も生き延びました。
「平成の不思議顕現」-- 東日本大震災の後、不思議なことが起こりました。
東日本大震災後、関口住職は仏頭が安置されている本堂内の扉を開けて驚いた。いつも真正面で向き合っていた仏頭が、やや右の方向(約25度)を向いていたからだ。手前に立っている仏像は倒れてもいない。「他の仏具も全くひっくり返っていないのに、びっくりしました」。この「平成の不思議顕現」を目にして、住職は東日本大震災が起こった11日を「東北を思う日」として定め、開帳日に加えることにしたそうです。