ちょっと気になる中央区の神社 ⑨
~ 朝日稲荷神社 ~
「ちょっと気になる中央区の神社」シリーズ、第9回の今回は、朝日稲荷神社(あさひいなりじんじゃ)をご紹介します。
こちらも「銀座八丁神社めぐり」の1社です。
それでは・・・
御由緒
朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。
しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し、浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
大正6年、銀座を襲った大海嘯(だいかいしょう ※)によって、三十間堀より霊体が顕れた。
建築業館岡某が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座3丁目町会の奉斎するところとなった。
町内崇敬者一同神威を畏(かしこ)み奉(たてまつ)り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され東京市の管理下にあった。
3丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附(かふ)を懇請したが叶わなかった。
しかしながら土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。
初午が盛大に祝われ、縁日は4丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。
こうした、町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有(うゆう)に帰した。
戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。
以後3丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。
ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。
時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座8丁神社巡りの札所として、銀座3丁目の人々の崇敬を集めている。
商業の神として商売繫盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。
昭和63年 銀座3丁目町会
※ 海嘯とは・・・
いわゆる潮津波(しおつなみ)のこと。
ここでは1917年(大正6年)9月30日に、東京湾に入った台風により発生した高潮水害を示しています。
東京湾沿岸に多大な被害をもたらし、東京府全体での死者・行方不明者は563名にのぼりました。
佃・月島・築地も浸水しました。
ー 拝殿の参拝はパイプを通じて本殿へ届く ー
古くからこの地に鎮座し、守護神として信奉されてきた。
昭和58年(1983年)、共同ビルの建築が企画され、1・2階の一部を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置した。
拝殿と本殿はパイプでつながっており、拝殿での参拝が本殿に届くように工夫されている。
商売繫盛・家内安全・開運・火難・厄除(やくよけ)・望願に霊験(れいげん)あらたかな神社で、毎年2月には、二の午の祭事が盛大に行われている。
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー
2階へつながっている「パイプ」はどこにあるのでしょうか。
はっきりとは見えません。
古くより銀座の鎮座まします守護神となっております。
今回も江戸古典落語をご披露させていただきます。
第46回を迎えました。
今回は「朝日稲荷神社」の「二階につながる」ことをきっかけに、「二階ぞめき」をご紹介します。
<事前確認コーナー>
「ぞめき」・・・
漢字で書くと「騒」となります。
直訳では「大勢でわいわい騒ぎながら歩く」です。
そこから転じてここでは「吉原を見世に上がらずに、遊女や客引き衆をからかいひやかしながら回る」ことを意味します。
「二階ぞめき」
若旦那は毎晩の吉原通い、大旦那は怒って勘当寸前。
番頭が意見しますが、まるっきり受け付けません。
若旦那「女はどうでもいい、吉原のあの気分が好きなんだ」
番頭「では、ひやかしているのが好きなんで?」
若旦那「そう、吉原がここにあれば出掛けない」と。
そこで番頭は、二階を吉原そっくりにしてしまいます。
本物に近い出来に若旦那は満足します。
服装に凝り、ほっかぶりまでして「誰も上げちゃいけないよ」と、二階の吉原へとんとんとん。
ほかに人はいません、当然です。
若旦那、妄想の世界に入ります。遊女役、若い衆役、本人役、一人三役熱演です。
果ては喧嘩の場面まで演じ切ります。「この泥棒野郎」「さあ殺せ」
大旦那、二階の騒ぎを聞いて、小僧に見に行かせます。
小僧が見たのは、自分で自分の胸倉つかんだ若旦那の姿。
若旦那「ここで会ったことは、家に帰っても親父には黙っててくれ」
朝日稲荷神社
銀座3-8-12
東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 A12出口を出て左へ。
2本先(約100m・2つめの角)左角にあります。