銀造

名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 慶長8年(西暦1603年)に初めて架けられたと言われる日本橋は、何度かの架け替えを経て、明治44年(西暦1911年)に完成した石造二連のアーチ橋です。装飾を担当されたのは、建築家の妻木頼黄さんです。橋の柱には擬宝珠がかけられています。 橋の四隅には一般公募を経て、名前が付けられており、今日は、その四隅の特徴を簡単にお話します。

 江戸時代に高札場があったところは、「花の広場」と命名されています。

この清々しい季節、梅雨入りの前に、「大葉擬宝珠」が咲き始めています。(5月13日現在)

 

花の広場 初夏の花が満開

花の広場 初夏の花が満開 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 5月13日現在、少し雨の恵みを受けて、どの花もとても艶やかに咲き誇っています。

とても鮮やかなキバナオダマキ、ケマンソウ(鯛釣草とも呼ばれます)、深紅のジギタリス(別名「狐の手袋)など、訪れる人の目と心を癒してくれます。 

 お隣の建物は、日本橋観光案内所です。 とても親切に対応してくれますし、簡単な日本橋土産を購入することも出来ます。

滝の広場 双十郎河岸

滝の広場 双十郎河岸 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 橋を渡った反対側は、江戸時代には、軽微な罪を犯した者を見せしめる「晒し場」があったとの事です。

現在は、石段の向こう側には瀑布を偲ぶのか、石造りの壁を涼やかな水流が伝わって落ちてきます。

ここから日本橋川や隅田川を巡る舟のツアーが発着しています。

 

双十郎河岸

双十郎河岸 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 現在の橋が架けられた100周年記念に、歌舞伎界の大御所、東の十二代目市川團十郎、西の四代目坂田藤十郎が一緒に船乗り込みを行ったところで、「双十郎河岸」と名付けられています。 

乙姫広場 日本橋魚河岸跡

乙姫広場 日本橋魚河岸跡 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 かつて、江戸時代から大正大震災が発生するまで、「なんの、そのうち千両は朝の内」と言われるほど繁盛した魚河岸の地には、昔日の栄耀栄華を記録・顕彰するため、「日本橋魚市場発祥の地」の石碑と「日本橋魚河岸跡」の説明パネルがあります。

右下に「乙姫広場」の石標があります。

元標の広場

元標の広場 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 日本橋が五街道の起点であることを標すために、日本国道路元標が置かれています。

ここには、そのレプリカが設置され、東京市道路元標も建てられています。

ここから、横浜、下関までとかの距離が、漢字で、「」と表示されています。

※)明治44年に現在の日本橋が架橋されるときに、「東京市道路元標」が橋の中央に設置されました。

 その後、昭和47年の都電に使用されていた道路の改修で、「東京市道路元標」は、今の元標の広場に移動されました。

そして、「日本国道路元標」が橋の中央に設置されて、現在に至ります。 

毎年夏には、日本橋地区の皆さんが「橋洗い」の行事に参加され、橋はピカピカに磨き上げられます。

日本国道路元標

日本国道路元標 名橋・日本橋 花の広場 ギボウシが咲く

 橋の真ん中に、「日本国道路元標」のプレートが埋め込まれています。

それでは、お買い物と美味しいお食事、日本橋散歩をお楽しみ下さい。