銀造

軍艦操練所からの海軍の歴史 築地散歩:(歩いてわかるものしり百科)

 中央区観光検定委員会監修の「歩いてわかる中央区ものしり百科」によると、

軍艦操練所は、江戸幕府による最初の本格的な海軍教育機関とのことです。 築地6-20先 晴海通りに説明碑があります。 安政4年(1857)、幕府は築地の講武所内に旗本や御家人などを対象とする軍艦教授所を創設、後に軍艦操練所と改称した。

 施設は元治(げんじ)元年(1864)に焼失したため、隣接する松平安芸守の屋敷に仮移転し、慶応2年(1866)には海軍所に改称した。 同年、再び類焼し、現在の浜離宮恩賜庭園に移転した。

明治2年海軍操練所創設➡海軍兵学寮と改称

明治2年海軍操練所創設➡海軍兵学寮と改称
 軍艦操練所からの海軍の歴史 築地散歩:(歩いてわかるものしり百科)

 明治2年(1869)、政府は築地に海軍操練所を創設した。 翌明治3年、海軍兵学寮と改称、明治9年に海軍兵学校と改称し、明治21年には広島県江田島に移転した。

 明治4年に竣工した校舎は海鼠壁に屋根瓦を配した西洋風の建築様式で人々の注目を集めた。

(この当時、軽気球の打ち上げ試験が催され、その時の光景が錦絵に描かれております。その絵は、築地よりみち館所蔵で、築地共栄会ビルの2階で常設展示されています。2021年7月末現在)

 後年は海軍大学校の校舎として使用されたが、関東大震災で焼失した。

昭和9年(1934)、海軍兵学寮がこの地にあったことを後世に伝える目的で、国立がんセンターの北側出入り口付近(首都高銀座料金所付近)、近くに記念碑があります。

明治5年 海軍発祥の地 記念碑「旗山」

明治5年 海軍発祥の地 記念碑「旗山」
 軍艦操練所からの海軍の歴史 築地散歩:(歩いてわかるものしり百科)

 明治5年(1872)、政府は築地に海軍省を設置した。もとは、老中松平定信の下屋敷「浴恩園」があった場所で、園内の築山に「海軍卿旗」が掲揚されたため、人々はこの山を旗山(きざん・はたやま)と呼んだという。

旧築地市場内には、海軍発祥の地を記念した石碑が立っていたが、現在敷地内への進入は禁止されているので、石碑を観ることはできません。  (写真は2018年1月撮影)

魚河岸会による魚河岸水神社遥拝所と「旗山」の説明

魚河岸会による魚河岸水神社遥拝所と「旗山」の説明 軍艦操練所からの海軍の歴史 築地散歩:(歩いてわかるものしり百科)

 築地市場があった時、魚河岸水神社もありました。 この説明の最後の方に、次のように書かれています。

「この場所は、江戸時代は松平定信公庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥の地のゆかりを記す貴重な史跡です。(この写真は、築地市場閉場前の2018年1月に撮影したものです。上の神社の笹の葉が正月を寿いでいます)