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地図の日ゆかりの茅場町 伊能忠敬旧宅跡

4月19日は地図の日。由来の伊能忠敬は茅場町に住んでいました。

4月19日地図の日、伊能忠敬が測量の旅に蝦夷地へ出発した日

私のスマホには、毎日、今日は何の記念日か通知が来ます。先週の4月19日の朝に来たそれは「地図の日」。伊能忠敬が西暦1800年のこの日、はじめて測量の旅へと蝦夷地、今の北海道に向けて出発したのを記念して作られたそうです。

伊能忠敬といえば、江戸時代に、全国の測量を行って、はじめて日本全土の正確な地図「大日本沿海輿地全図」を完成したことで有名な人ですね。

茅場町は伊能忠敬終焉の地。地図もここで作られた。

茅場町は伊能忠敬終焉の地。地図もここで作られた。 地図の日ゆかりの茅場町 伊能忠敬旧宅跡

それで、たしか地下鉄茅場町駅を出たところに、伊能忠敬ゆかりの説明版があったなと思い出し、行ってきました。地図御用所跡とあります。伊能忠敬がそれまで住んでいた江戸深川黒江町(現江東区門前仲町一丁目)から当時八丁堀亀島町と呼んでいたこの付近に居を構え、そこに幕府の地図御用所も併設され、測量図の作成などが行われていました。伊能が亡くなった後も地図御用所として使われていたということです。因みに亀島という地名は亀島川、亀島橋として残っていますね。伊能がここで亡くなった後に「大日本沿海輿地全図」が完成しますが、伊能の功績にするために完成まで喪を秘していたそうです。この地で全図が作成されたかと思うと感慨深いです。

後にシーボルトが帰国の際に、この全図の写しを持ち出そうとしたことが発覚して、関係者が死罪になるという(地図は当時の国家機密)大事件になった「シーボルト事件」が起こりますが、そのシーボルトの像が明石町のあかつき公園にあるというのも因縁を感じさせます。

江東区、深川富岡八幡宮には旅立ちの銅像が。

江東区、深川富岡八幡宮には旅立ちの銅像が。 地図の日ゆかりの茅場町 伊能忠敬旧宅跡

さて、測量の旅に出発する伊能忠敬の立派な銅像が、おとなり江東区門前仲町の富岡八幡宮の鳥居をくぐってすぐのところにあります。

蝦夷地への初めての測量のときをはじめ、遠国への測量旅の時はここに参詣してから出発したそうです。持っている杖には測量のため方位磁石がついていたそうです。

 地図の日ゆかりの茅場町 伊能忠敬旧宅跡