東日本橋にも「県居の跡」の案内板
東日本橋を歩いていたら、清杉通りと清洲橋通りがぶつかる三角形のポケット公園の近くで、賀茂真淵の住居跡「県居跡」を示す案内板を見つけて場所を確認しました。ただ案内板による県居跡の場所の紹介はすでに昨年7月、先輩特派員の小江戸板橋さんが「どこに消えた。賀茂真淵(かものまぶち)の県居(あがたい)の跡。」と題し、明治座近くの同様の案内板を取り上げておられ、初出ではありません。
★印の箇所が賀茂真淵の県居跡です。
パラリンピック・マラソンコース
ところでこのポケット公園には各種の樹木が植えられ、薬研堀不動院など周辺の街歩きで疲れた時などに一息つける場所になるかと思われます。敷地内には、清杉と清洲橋の両通りが昨年9月の東京2020パラリンピックでマラソンコースになったことと、同陸上競技の結果を示す案内板がありました。
昭和天皇臨幸の「御幸通り」と記念碑
清杉、清洲橋の通りとは別に、公園から北東側に伸び、正面に東京スカイツリーを捉えることのできる直線道路が「御幸通り」。昭和天皇が関東大震災後の復興状況を視察するため、通りの奥の現・日本橋中学校へ臨幸されたときの道路です。隅田川に沿う同中学校隣接の千代田公園には、この臨幸を記念する碑もあります。
「浅草御坊」などといわれた西本願寺別院が明暦三年(1657)の大火後に築地に移る前、この御幸通りと、公園からまっすぐ南西に伸びる道路の北西側にあったといわれています。
浅草御坊につきましては先輩のyazさんが2019年2月16日「浅草御堂とは?」で紹介されています。