yaz

江戸で最初の大火と瓦葺屋根

『慶長見聞集』に「江戸町瓦葺きの事」と題して次のように記されています。

「家康が江戸へ入府されてこのかた、町は繁盛して家数も多くなったが、みんな草葺き屋根で焼けやすい。慶長6年12月2日の巳の刻(午前10時頃)に、駿河町の幸之丞の家から火を出して、江戸の町中を一軒残らず焼いてしまった。奉行所では、これは町中が草葺き屋根であるためとして、この際屋根は板葺きにすることのお触れを出した。新築の家々は全部板葺きとなった中、本町二丁目の滝山弥次兵衛は誰よりも優秀な家を造ろうと考えて、道に面した半分を瓦葺きとし、後ろ半分を板葺きとしたので、誰言うともなく半瓦(はんがわら)の弥次兵衛と呼んだ。これが江戸の瓦葺の初めである。

本町二丁目というのは、後の寛永9年(1633年)の武州豊嶋郡江戸庄の図によると駿河町の北隣りの町である。駿河町の南は、青物町、塩町、鍋町などの商店街で、しかも海辺である。東南の風にあおられて、これが江戸の大火第一号となった。

 

江戸の大火事を列記

江戸の大火事を列記 江戸で最初の大火と瓦葺屋根

駿河町を中心として江戸時代の大火の歴史を考えてみると、277年間に約23回大火に遭遇している。かなりの回数駿河町は焼けていることになる。

慶応6年(1601年) 江戸の大火第一号

寛永18年(1641年) 1/29の夜、鍛冶橋の東北「桶町=八重洲4丁目と京橋1丁目の内」より出火

明暦3年(1657年) 正月18日昼、本郷5丁目本妙寺より出火→振袖火事(江戸時代最大の火事)

「火事はどこだい丸山だ」という子供の遊び言葉で有名→ 火災は、本郷丸山の徳栄山惣持院本妙寺(現在は豊島区巣鴨5丁目に移転・旧在所は文京区本郷5丁目菊坂付近)から午後2時ごろ発生して、湯島から神田あたりを経て八丁堀から霊厳島・佃島さらには石川島にも及びました。発火源が「丸山」なのでこのような遊び言葉が出来たのでしょう。

江戸火事図巻に明暦の大火の浮世絵が掲載されいるので、これを紹介します。

万治2年(1659年)正月2日~3月24日の間に105回出火

寛文8年(1688年)2月1日 御茶ノ水の水上から出火、同時刻に牛込から出火、市ケ谷天竜寺から三方の火事が一緒になり大型化

延宝年間は無事

元禄11年(1698年)新橋南鍋町から出火

正徳元年(1711年)12月11日 神田連雀町から出火

享保2年(1717年) 神田大工町から出火

元文・寛保・延享・寛延年間計40年間は火事なし

明和9年(1772年) 目黒行人坂 天台宗の大円寺から出火→ 明暦3年の振袖火事に次ぐ大火

天明6年(1786年) 湯島天神の裏門前の牡丹長屋から出火→ 三組町から神田の通り筋から本町通り、小田原町~小網町~坂趙~葺屋町の芝居小屋を焼き大伝馬町から浜町・深川まで延焼

************************************************

注: 三組町: 元和2年(1616年)に徳川家康が駿府で逝去したことにより、家康付きの御家人である中間、小人、駕籠方3組が江戸に帰り、屋敷地として豊島郡峡田領内の当地を賜った。駿府にちなんで駿河町と称していたが、元禄9年(1696年)に商家の建設が許され、3組の御家人にちなんで三組町と改称した。明治に入って東京府本郷区湯島三組町となり、1947年に文京区の所属となった。

************************************************

寛政と享和は無事

文化3年(1806年)芝車町から出火、日本橋から常盤橋御門内・室町・本町通り西は鎌倉町から三河町界隈迄延焼。

文政7年2月1日 神田三河町の茶漬け屋から出火。この時も日本橋まで延焼したが、荒布橋の欄干が左右に開いて、川に落ちた何人かが溺死した。

天保年間(1830~1844)は無事、弘化3年(1846年)小石川片町の北方の武家地から出火。神田から日本橋経由で永代橋、そして佃島、南八丁堀に延焼したが本願寺は無事。

嘉永年間(1848~54)は無事であったが、安政元年(1854年)神田多町の北側の乾物屋「三河屋半次郎」宅から出火。北西の風から北に変わって日本橋際まで延焼。101ケ所の町、長さ11町、幅は4町40間程への延焼となった。

安政5年11月、神田相生町若林屋敷から出火。日本橋から京橋まで延焼。

文久3年駿河町の三井呉服店から出火、二町40間、幅一町半ほど燃える。

元治元年本銀町の4軒屋敷から出火。延焼3町。幅2町余。

慶応4年9月が明治元年(1868年)となる。

 

参考文献:

1) 日本橋駿河町由来記(絶版):駿河銀行第三代頭取 岡野喜一郎殿起案  駿河不動産(株)協力

                編集・出版協力: 中央公論事業出版

2) 中央区観光協会特派員ブログ「大火と長崎屋」(ブログ名yaz)より抜粋