達磨

梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

『吾妻橋』袂の『浅草』水上バス乗り場です。『梅雨の中休み』爽やかな青い空、真っ白な雲の中にスカイツリーがまじかです。

さぁ~乗船【14:20分発】浜離宮恩賜庭園行き(入園料込み)【竜馬】~~    船尾ベンチに腰掛けて航走波を見つめ、震災復興橋をくぐり、35分ほどの水上バス旅です。

  浅草水上バスご案内:ホームページ/浅草|【公式】東京都観光汽船

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

浅草を出て、いずれも震災復興橋の【吾妻橋】【駒形橋】【厩橋】【蔵前橋】を潜ると両国橋】万治2年(1659)創架(明暦の大火後に避難路として架橋)現在の橋は昭和7年(1932)震災復興で東京市が架橋。西河岸には神田川の第一橋梁「柳橋」「両国広小路」「薬研堀不動尊」     【大橋】元禄6年(1693)創架。明治45年架橋の橋は震災時焼けずに、人命を救ったことから「人助け橋」と呼ばれた。現橋は橙色の支柱と、ワイヤ―がかけられた昭和52年(1977)架橋の斜張橋。西河岸には「明治座」「浜町公園」、東河岸に「芭蕉庵史跡展望庭園」が見えます。

 

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

墨田川大橋の橋下上流清洲橋】震災復興橋として昭和3年(1928)創架された。当時の技術を駆使した鋼鉄製吊り橋。川幅いっぱいに・・・きれいなデザイン。国指定重要文化財。新大橋を過ぎて清澄側「新小名木川水門」西河岸は「日本橋中洲」   

【隅田川大橋】昭和54年(1979)に架橋された、高速道路と一般道の二層構造。中央区側には箱崎町の高層ビルが建ち、箱崎ジャンクションを降りると、1972年開業の東京シティターミナル。

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

永代橋】5代将軍50歳を祝して、元禄11年(1698)に創架。橋は度重なる洪水や消失で何度となく架け替えられた歴史。明治30年(1897)日本初の鉄橋になったが関東大震災の被害を受け、大正15年(1926)、震災復興橋として現在の橋に架け替え。隅田川の入口の第一橋梁であって、強くて雄大な外観デザインだ。2007年国指定重要文化財。箱崎町から日本橋川の豊海橋を渡れば新川の街並み。中央大橋に続くスーパー堤防は桜の名所。

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

佃大橋から覗き見る中央大橋】佃島の再開発に伴い、平成6年(1994)架橋。鋼鉄製斜張橋。X字型のタワーは、かつての石川島が兜島と言われていた事に因んだとか。左河岸佃島一帯はリバーシティ21の大規模超高層マンション群、パリ広場、石川島造船所跡。【佃大橋】東京オリンピック開催の昭和39年(1964)創架。300年続いた隅田川最後の渡しは佃大橋の完成で幕を下ろした。下流右岸には1994年開業の2つの超高層ビル『聖路加ガーデン』が建つ。ここ明石町一帯は明治2年(1869)から30年間外国人居留地が置かれていた。下流左岸に石川島灯台跡」「住吉神社」。

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

築地大橋の橋下から覗いて【勝鬨橋】昭和15年(1940)6月に竣工。万国博覧会(日中戦争の激化で中止)開催予定地の月島や東京湾への交通路として建設。全長246mの中央部がハの字に開く双葉跳開橋。昭和45年(1970)から開閉を停止。国指定重要文化財。橋のたもと(銀座より)には「かちどき 橋の資料館」HP参照。

隅田川の最も下流にある【築地大橋】築地大橋は環状2号線に計画され、築地市場と勝どき5丁目を結んで、隅田川を渡る橋梁。平成30年11月開通。特に高層ビルから見る姿は安定感と威厳、美しさを感じる。

 梅雨の中休み・・・『浅草』から水上バスで『浜離宮』
大震災から100年・・・悠々と隅田川、強く美しい橋梁を眺め

浜離宮恩賜庭園到着です。水上バス発着場で下りました。今日は庭園内4つのお茶屋「中島の御茶屋」「松の御茶屋」「燕の御茶屋」「鷹の御茶屋」それぞれの景色を堪能。(完)