住吉神社大祭~5年振りの開催~
住吉神社の由来
住吉神社社殿
佃島は、もともとは隅田川の河口にできた干潟でした。この土地を埋め立て、島を築いたのは、この地に移住した摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫等です。徳川家康が上洛した折に摂津国の住吉神社(西淀川区佃に在る現在の田蓑神社)に参詣した際、佃村の漁夫が渡し舟を出して家康一行を運んだことが縁となり、天正十八年(1590年)に徳川家康に従って関東に下り、この地を拝領し、永住することになったという次第です。佃島の「佃」は、この漁夫等の故郷の名から名付けられたものです。
佃島の住吉神社は、漁夫等の故郷の神社である摂津国の住吉神社の御分霊を、長足姫命(神功皇后)並びに東照御親命(徳川家康の霊)の御分霊と共にお祀りした神社で、天保三年(1646年)に創建されました。
鳥居に掲げられた扁額はめずらしい陶製
住吉神社大祭と大幟
2023年8月に、5年振りとなる住吉神社の大祭が開催されました。前回のお祭りは2018年。大祭は3年毎に開催されるので、通常ならば2021年に次の大祭が開催されるはずでした。しかしコロナの影響で2回の延期を挟まねばならず、今回ようやく5年振りの開催となりました。地元の方々はもとより、多くの人が祭りの再開を待ちわびたことだと思います。住吉神社の大祭と言えば、立派な大幟が立つことで知られています。この大幟を間近に見たいなと思っていて、なかなかその機会に恵まれませんでしたが、ようやくそのタイミングが巡ってきました。連日の猛暑で、外出するのも躊躇われるほどの暑さでしたが、今回を逃すと次は3年後。見逃す後悔はしたくないと思い、カメラを担いで佃の地を訪ねることにしました。お目当ての大幟は、ありきたりの言葉になってしまいますが、とにかく立派。長年に渡って使い込まれた柱の木肌には歴史を感じました。対岸の鉄砲洲の方から眺める幟も、特別な日を知らせるようで、誇らしげに見えました。
時代小説の中に登場する住吉神社
時代小説の中の佃島は、漁師の島という特殊事情もあってか、ここが舞台となることは余り無く、どちらかと言えば、海を隔てて向こうに眺める存在です。そのため、住吉神社が登場することは稀なことなのですが、鬼平犯科帳(二十二)(池波正太郎著、文春文庫)の「座頭・徳の市」の章の中では、対岸の鉄砲洲から住吉神社の大鳥居が見えるという場面が登場しています。
鉄砲洲から眺める住吉神社の大鳥居。堤防が築かれた現在においては、かろうじて鳥居の上部だけが見えます。