時空を超えてつながる街並み
日本橋室町を歩くと、ふーっと博物館の中を進んでいる感覚になることがあります。
国の重要文化財に指定されている「日本橋」から北に進路を取れば、三越日本橋本店、三井本館、さらに日本銀行本店本館と重要文化財の建物が連なります。
日本の近代建築史をたどることができる生きた資料が目の前に広がり、しかも現在も様々な経済活動に利用されている建造物群なのです。
令和の時代の重厚で華やかな街並みを歩くのも素敵ですが、同じ道筋を一挙に弐百壱拾八年をタイムスリップして眺めることができる場所があるのです。
熈(かがや)ける御代(みよ)の勝(すぐ)れたる大江戸の景観をとくとご覧あれ
「熈代勝覧(きだいしょうらん)」
東京メトロ三越前駅の地下コンコース。三越日本橋本店本館の地下中央口付近の壁面。
日本橋の中央通りの地下に「熈代勝覧」絵巻は展示されています。
A3出口とA5出口との間に位置します。
横の長さ、約17mの長大な複製絵巻。
そこには日本橋から神田今川橋に至る、約765mの街並みが収められています。
連なる問屋街と、行き交いひしめき合う人物たちを眺めれば、街の賑わい、活気ある生活・風俗、描かれた人たちの豊かな表情に、思わず引き込まれます。
「熈代勝覧」が描く時代は、文化2年(1805年)頃といいますから、11代将軍徳川家斉公の時世。
ここから続く「文化・文政時代」に、江戸の町人文化は全盛期を迎えます。
通りに沿って連なる家並みは、大店の呉服問屋、刃物問屋、小間物問屋、種々の飲食店など。
華のお江戸一番の繁華街だけあって、堂々たる瓦屋根の店構えです。
地上で先程まで目にしていた江戸創業の老舗商店が、現実に二百数十年前の絵巻に描かれているのです。
暖簾の屋号や看板から、昔と今、それぞれを引き合わせていくことができます。
時間軸を飛び越え結びつけるワクワクする作業です。
なんと沢山の「薬種問屋」
さて、通りに並ぶ問屋の中で、特徴的な業種に気づきませんか。
そうです、「薬種問屋」。
枠に示された薬種問屋を数え上げてみても。その多さに驚かされます。
越後屋。鎰屋。福嶋屋。大黒屋吉兵衛。俵屋。萬屋。西村屋。小西林兵衛。藤木。などなど。
薬種問屋は、主として薬の原料となる薬草や調剤薬を取り扱っていました。
江戸の街が都市としての黎明期を迎え、参勤交代の制により日本国中から人が集まり、その範囲を急激に拡大していきます。
埃っぽい建設中の街にあって、目薬の需要が生まれ、頭痛、腹痛、切り傷、擦り傷など、人々の生業に伴って様々な病災が生じ、医薬品が求められました。
絵巻の中の薬種問屋の看板にも、百効、けとく、痰の妙薬、百養散?粒甲丹?など、漢方薬の匂いが感じられるような文字を確認することができます。
薬の祖神様って、どんな神様。
日本橋室町には、薬に関する重要な場所があります。
「薬の祖」、薬祖神社(やくそじんじゃ)です。
福徳神社の東側、福徳の森のの奥に鎮座します。
御祭神は、医薬の祖神といわれる、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱です。
大己貴命は、大国主命をはじめ多くの貴い別名を持つ、国造りの神です。
国造りの協力神が、少彦名命です。医薬、酒造、温泉の神であり、多くの人を病難から救う霊力を持つと伝えられています。
海の向こうから、ガガイモ(キョウチクトウ科のつる性多年草)の実の殻でできた船に乗ってきました。
船の大きさは手のひらにのる程の寸法ですから、一寸法師のルーツともいわれる、広い知識を持つ神様です。
薬の街の確かなしるし
神社の石垣には、普段利用している身近な製薬会社の名前が刻まれています。
「薬の街」とも言われてきた日本橋にふさわしいスポットです。
そして今、このエリアは「生命科学の聖地」として進化しています。
再開発に向けた基軸として、ライフサイエンス産業の集積が進んでいるのです。
くすりミュージアム
薬をもっと身近に感じることができる施設があります。
日本橋本町3-5-1の「第一三共 くすりミュージアム」
映像やゲームを通して、薬の歴史、種類、効用、服用の仕方などを楽しく学ぶことができるのです。
※ 見学は現在予約制になっていますので、「くすりミュージアム」のホームページをご覧ください。
見学を終えて街を歩けば、それまで気づかなかった製薬会社のビルや看板が、たくさん目に飛び込んできますよ。