新川に架かる9つの橋
(シリーズ3回目:高橋・南高橋)
「新川」を起点に特派員活動をしている「New River」です。
前回のブログでは「新川に架かっていた4つの橋 ~新川の痕跡を辿って~」と題し、かつて霊巌島といわれていた新川(現在の新川1丁目・2丁目)に実際に流れていた川、文字通りその「新川」に架かっていた4つの橋をご紹介しましたが、今回のブログは、また「新川に架かる9つの橋」のシリーズ(※)に戻り、新川の北西(新川1丁目)から南西(新川2丁目)にかけて流れる亀島川の下流部に架かる高橋と南高橋を取り上げたいと思います。
(※)これまでの本シリーズは以下のとおりです。
* 写真は高橋から南高橋方面を望んだもので、亀島川は南高橋の先で隅田川と合流します。南高橋の向こうには、リバーシティ21も見えています。また、亀島川の左岸には東京都公園協会が管理する係留保管施設があり、右岸には緑道やオープンスペースが整備された亀島川公園があります。さらに、その先の凹んだ部分は、かつて東流していた桜川(八丁堀)の亀島川との合流点になります。
はじめに
高橋と南高橋が架かるこの流域は、私が亀島川で最も好きなエリアです。朝は潮の匂いを感じつつ陽光に輝く川面を眺めながら南高橋を渡り、夜はライトアップされた一帯の夜景を楽しみながら、高橋を渡って家路につきます。今回のブログは、そんな両橋の歴史と魅力をお伝えできればと思います。
* 地図は「新川の跡の碑」付近にある「中央区エリアマップ」(平成18年3月、東京都建設局が設置した案内板)を基に作成。
高橋(たかばし)
高橋は、亀島川の第二橋梁(上流は亀島橋、下流は南高橋)で、新川2丁目と八丁堀3丁目・4丁目を結んでいて、鍛冶橋通りが通っています。
創架は、正保元年(1644年)頃の江戸の町が描かれているといわれている「正保江戸図(しょうほうえどず)」によれば、無名橋ながらも既にその記載が見られることから、少なくともその頃には架橋されていたと考えられています。
高橋という橋名は、船舶の出入りが頻繁な亀島川の河口付近に架けられたため、橋脚の高い橋を架けたことに由来しているといわれています。なお、当時はまだ南高橋がなかったので、高橋が亀島川の第一橋梁でした。
また、高橋は、日本橋川に架かる湊橋(※)とともに、元禄15年(1702年)12月14日、吉良邸で本懐を遂げた赤穂浪士一行が、霊巌島(現在の新川1丁目・2丁目)を経て泉岳寺へ向かう際に渡ったといわれている橋です。
(※)豊海橋を渡ったという説もあります。
* 写真上は右岸下流側にある亀島川公園から見た高橋。左下は右岸上流側の親柱。右下は左岸下流側の高橋南東児童遊園に残されている旧橋の親柱。右は現橋の親柱(令和5年4月撮影)。
【架け替えの歴史】(明治15年以降)
・明治15年(1882年)10月、錬鉄製ワーレントラス橋(※)に架け替え。日本人技術者・原口要(はらぐちかなめ)によって設計された初の国産道路橋。
・大正8年(1919年)2月、三連鉄筋コンクリートアーチ橋に架け替え。
・昭和58年(1983年)3月、現在の橋(単純鋼床版箱桁橋)に架け替え。
(※)トラス橋は、橋桁をトラス(三角形の集合体)で補強した橋のことで、変形しにくい安定した構造を得ることができます。その種類としては、トラスの組み方によって、ワーレントラスやプラットトラス等があり、多くは考案した人の名前がつけられています。ワーレントラスはトラスを斜材のみで構成し、斜材の向きを交互にしたトラス橋です。一方、プラットトラスは斜材と垂直材の組み合わせでトラスを構成し、斜材を橋の中央部から端部にかけて「逆ハ」の字状に配置したものとなります。
【橋梁の諸元】
<形式> 単純鋼床版箱桁橋
<橋長> 34.70m
<幅員> 23.80m
<竣工> 昭和58年(1983年)3月
左上)明治15年(1882年)10月に原口要によって設計され、架橋された「錬鉄製ワーレントラス橋」。
他3枚)大正8年(1919年)2月に架け替えられた「三連鉄筋コンクリートアーチ橋」。
(提供:中央区京橋図書館)
南高橋から高橋方面を望む。上は現在、下は昭和32年(1957年)製作の写真(提供:中央区京橋図書館)。
南高橋(みなみたかばし)
南高橋は、亀島川が隅田川に注ぐ河口部に架かる、亀島川第一橋梁(上流は高橋)で、新川2丁目と湊1丁目を結んでいます。
創架は、昭和7年(1932年)3月ですが、使用されているトラスは、明治37年(1904年)11月に架けられた両国橋(三連トラス橋)のトラス(中央部分)を、関東大震災後の復興事業の一つとして、再利用したものです。その結果、都内に現存する鉄橋としては、江東区富岡にある「八幡橋」(はちまんばし)(※)に次いで古いものとなっています。
南高橋は、中央区の区民有形文化財(建造物)(平成2年4月1日登録)となっており、平成28年度の土木学会選奨土木遺産にも選出されています。
右岸上流側の橋詰広場には、永井荷風の「断腸亭日乗」(昭和9年(1934年)7月)の中で、南高橋が描かれている場面が記された石碑があります。
私は、亀島川に架かる橋の中ではもちろん、新川に架かる9つの橋の中でもこの橋が一番好きです。それは、毎日、南高橋を渡って通勤していることもありますが、南高橋の架橋の経緯、そのレトロなデザイン、そして明治時代の建造物が令和の時代、都会の真ん中に、しかも身近に残っていることがほとんど奇跡といってよいと思うからです。
(※)「八幡橋」は、明治11年(1878年)11月、京橋区(現在の中央区)の楓川(かえでがわ)に「弾正橋」(だんじょうばし)として架けられましたが、関東大震災後に廃橋となり、昭和4年(1929年)5月に現在地に移転し、「旧弾正橋」(きゅうだんじょうばし)とも呼ばれています。昭和52年(1977年)6月に国の重要文化財に指定されています。
* 写真上は右岸上流側の亀島川公園から見た南高橋。後ろにはリバーシティ21が高くそびえ立っています。下は右岸下流側の南高橋南西児童遊園から見た南高橋。シャンパン色のライトアップがとても美しいです。
【橋梁の諸元】
<形式> 下路式単純プラットトラス橋
<橋長> 63.1m
<幅員> 11.0m
<竣工> 昭和7年(1932年)3月
上)明治37年(1904年)11月に架けられた両国橋。この中央部分のトラスが南高橋に再利用されました(提供:中央区京橋図書館)。
左下)関東大震災で被災した両国橋橋名板と橋梁装飾品(令和5年11月21日~24日、新宿駅西口広場イベントコーナーで開催された「東京 橋と土木展」(主催:東京都建設局)にて展示。普段は東京都復興記念館(墨田区横綱)に展示されています。)。
右下)現在も生きる関東大震災以前の橋として紹介されていた南高橋。両国橋のトラスが南高橋へ移設された経緯が書かれてありました(上記と同じく「東京 橋と土木展」にて展示。)。
南高橋の橋名板とアイバー(eyebar)。南高橋の特長として、ピンで接続するトラスの一部(下弦材)で使用される、両端に穴(目)が開いたアイバー(eyebar)が用いられていることが挙げられます。
橋名板は、今回のブログでアイバー(eyebar)の写真を撮ろうとしたとき、偶然見つけたものです。普段何気なく橋を渡っているだけでは、決して見ることができない位置にありました。特派員となってこのブログを書かなければ、目にすることはなかったと思うと、とても感慨深い発見となりました。
左上)左岸上流側(新川2丁目側)から見た南高橋。この日は深川八幡祭りの一週間前で、橋の入口には注連縄(しめなわ)が飾られ、「新川二丁目越一町会」の幟が立っていました(令和5年8月撮影)。
右上)南高橋から見た亀島川水門(形式:鋼製単葉ローラーゲート、径間:15m×2連、門扉高さ:8.0m、竣工:昭和43年度(東京都建設局HPより))。この水門により、亀島川流域に住む人々の生活が高潮や津波から守られています。
左下・右下)左岸上流側には徳船稲荷神社があります。元々この地にあった越前松平家の下屋敷の中にあり、ご神体は徳川家の遊船の舳先(へさき)を切って彫られたものと伝えられています。神社の後ろには南高橋のトラスが見えます。
おわりに
最近、亀島川でSUP(サップ)等の水上スポーツを楽しむ光景をよく目にします(この写真は11月初旬の朝8時過ぎ、出勤途中に通った南高橋から高橋方面を撮影したものです。)。
シリーズ2回目で参考にした資料(「中央区水辺利用の活性化に関する方策」中央区土木部管理課 、平成18年4月)にも書いてありましたが、近年、中央区では、「水の都中央区の復活~水辺とともに歩む中央区をめざして~」という基本理念を掲げ、区内の水辺利用の活性化を目指し、様々な施策が検討・実施されています。亀島川もその施策の対象となっていて、先日11月18日には「亀島川みずべまつり2023」(一般社団法人 亀島川にぎわい創出協議会と公益財団法人リバーフロント研究所との共催)が亀島川緑道で開催されていました。今後も、このようなイベントやアクティビティによって、亀島川がますます魅力的な場所になることを期待したいと思います。
「新川に架かる9つの橋」、残り2橋は、中央大橋と永代橋となります。
最後になりましたが、ブログ作成にあたって、いつも京橋図書館 地域資料室の皆さまには大変お世話になっています。今回、高橋の架け替え年について不明点があり、質問させていただいたところ、迅速かつ丁寧に明快なご回答を示していただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
【主な参考資料・引用文献等】 ※ 一部本文内に記載
・「中央区文化財調査報告書 第5集 中央区の橋梁・橋詰広場 ー中央区近代橋梁調査ー」中央区教育委員会、平成10年3月2日発行
・「中央区沿革図集[京橋篇]」中央区立京橋図書館、平成8年3月31日発行
・「100年橋梁 ~100年を生き続けた橋の歴史と物語~」公益社団法人 土木学会、平成26年9月10日発行
・伊東孝「東京の橋-水辺の都市景観」鹿島出版会、昭和61年9月30日発行
・伊東孝「東京の橋 下町の誌上橋めぐり-旧高橋 近代橋梁史研究のきっかけ」DOBOKU 技士会 東京 第48号、平成22年12月発行
・五十畑 弘「図解入門 よくわかる 最新「橋」の科学と技術」秀和システム、令和元年7月1日発行