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大相撲浜町場所!大成功‼

 ご無沙汰です。皆さん、ご存知でしたか? 浜町の大相撲の話です。今回は、荒汐部屋のお話ではありません。本場所のお話です。時は、70年ほどさかのぼります。昭和24年(1949)3月に大相撲春場所が浜町公園で開催されました。

 戦後、昭和20年11月中旬に被災した天井のない両国国技館で秋場所が開催されました。翌年の春場所の準備をはじめたところ、12月26日に国技館が進駐軍に接収されてしまいます。昭和21年11月6日から白く塗り替わりメモリアル・ホールと改称された国技館で秋場所は開催されました。昭和22年、メモリアル・ホールの借用はかなわず、神宮外苑での青空興行で、夏場所と秋場所が行われました。雨が降れば順延です。

 相撲協会でも、天気に左右されず興行のできる仮設国技館の構想が検討されます。候補地として浜町公園があがります。浜町公園は都有地でしたが、建設会社新田組が管理していました。新田組とも建設を請負うなどの条件で話が進みます。しかし、進駐軍の建設許可が消防の点からおりません。ようやく不燃性の材料を使い、1回だけの使用で許可がおりました。突貫工事で作業も進みますが、進駐軍の検査もあります、ようやく完成を迎えます。1月12日から連日ほぼ満員の日が続きました。戦後初めての満員御礼の日もありました。力士も張り切り、好取組が続きました。優勝は、新横綱東富士になりました。

 大相撲浜町場所!大成功‼

 *写真は、『墨田区立図書館叢書4 相撲両国国技館』から引用

 次は、5月場所です。進駐軍に浜町仮設国技館の再使用を申請しますが、1回だけの使用の条件のため認められません。協会は、一旦取壊し新たに建設したように見せかける事にしました。浜町仮設国技館の囲いをはがしたり、その取壊した部分を新材料で作り直したりしました。5月15日が初日です。戦後初めて15日間の興行です。大関増位山が優勝です。増位山は、浜町から両国の出羽海部屋まで優勝パレードです。徒歩です。

 大活躍の仮設浜町国技館は、この場所限りで取壊されました。そして、昭和25年初場所からは、蔵前の仮設国技館で興行されることになりました。

 スポーツセンターにいると、浜町場所の思い出が残っているかもしれません。鬢付け油の香りがしました、荒汐部屋のお相撲さんがトレーニングをしていました。