「東京まんなかippin堂」のツアーでまち歩きに出かけよう
ー佃・月島編ー
佃島は江戸時代の初めに徳川家康の命で、隅田川河口の180m四方を幕府から与えられ埋め立てて、34名の漁師が大阪摂津国佃村から移り住んだ島です。そして月島は明治になって埋め立てられました。その後の震災や戦災を免れて、現在高層ビル群と古くからの街並みが共存している佃・月島をご案内します。隅田川の景色とともにお楽しみ下さい。
集合は都営大江戸線「勝どき駅」A1出口地上
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の選手村があった晴海地区の最寄り駅「勝どき駅」からツアーはスタートです。
月島川水門テラスから勝鬨橋眺望
隅田川にかかる「勝鬨橋」が見えてきました。昭和15年竣工のこの橋は、設計から全てを日本人技師の手で造られた跳開橋で、完成時には東洋一の可動橋と呼ばれました。路面電車の線路には都電が走り、船の運行時には1日5回開閉していましたが、船舶運航量の減少と道路の交通量が多くなり、昭和45年(1970)11月に最後の開閉、現在も停止しています。
かつては大型船舶も通っていた様子を思い浮かべると、もう一度見てみたい気持ちになりますね。平成19年(2007)に国の重要文化財に指定されました。
近くに隅田川と朝潮運河をつなぐ月島川が流れていて、入口には水害から街を守るための月島川水門があります。全長530mの小さな川には船が浮かんでいて、川岸ではハゼ釣りの人々を見かけます。のどかな風景の小道です。
もんじゃストリート
中央区の下町を代表するもんじゃ焼きのお店が並んでいます。清澄通りの西にある月島西仲通りは通称「もんじゃストリート」と呼ばれる商店街です。
通りの一角に、平成19年まで警視庁最古の交番として使用されていた巡査派出所があります。現在は「地域安全センター」として警察官OBが地域の安全を守る活動の拠点になっています。
佃島渡船場跡~隅田川テラス
佃島と対岸の江戸市中を行き来するために「佃の渡し」という渡船が江戸時代から300年以上続いていました。昭和39年(1964)佃大橋が創架されたことにより「佃の渡し」は役目を終えました。
隅田川の川沿いの遊歩道(隅田川テラス)を歩くと、水辺や橋の景色が広がります。佃大橋の先には大川端リバーシティから東京駅方面に向かうために架けられた中央大橋が見えます。フランスの会社が設計し、イメージした日本の兜のデザインがメインタワーに使われています。歩いて行くと遠くに見えるスカイツリーがタワーの中にすっぽり入る場所が。おすすめの写真スポットです。
石川島灯台は江戸湾から入って来る船に江戸湊の位置を知らせる常夜灯、六角二層の灯台でした。ここには江戸時代、長谷川平蔵が提唱した無宿人の職業訓練所、石川島人足寄場があり、軽犯罪者のための自立支援を目的とし、大工や左官、紙すきや裁縫などの技術を習得していました。中でも油絞りは重労働で、その利益で石川島灯台を作りました。
住吉神社
摂津国西成郡佃村にあった住吉神社から分社して遷座した佃島の産土神です。家康公から「佃島の漁師は日本中どこで魚を獲っても良い。」という特権を与えられて、漁民たちは「家康公へのご恩は富士の山より高く、芝浦の海より深い」と住吉神社の鳥居は西北西にあった江戸城に向いています。水盤舎の欄間には佃島の昔をしのばせる浮彫の彫刻があり、佃の渡しの風景や帆をはった廻船、磯辺の風景が見られます。木鼻には唐獅子が躍動感ある姿で彫られています。
扁額は陶製で、有栖川宮幟仁親王の揮毫による文字が鮮やかな青色に焼き付けられています。
赤い佃小橋の下には住吉神社の大祭で使う大幟の柱と抱が腐食防止のため川底に埋められています。
月島もんじゃ振興会協同組合前で解散
もんじゃストリートの入口にある「月島もんじゃ振興会協同組合」では情報の収集はもちろん、もんじゃストリートならではのお土産も購入できます。もんじゃのランチを食べたり、秋の風に吹かれて水辺を歩きにいらっしゃいませんか。
参考資料:「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会
中央エフエム「中央区街角スケッチ」
中央区観光協会では、おもてなしスタッフがご案内するまち歩きツアーを販売しています。
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https://ippin-do.chuocity.tokyo/collections/all_tours