築地本願寺の設計者伊東忠太は
東大正門の基本設計をしました
こんばんは。「たけちゃん」です。
11月上旬の三連休の中日に本郷三丁目付近をブラブラと歩いてきました。この付近は旧加賀藩のお屋敷跡に東京大学が建てられ、その影響からなのか数多くの文学者が住居を構えた地域です。東大構内を歩いていたら初代日本銀行(日本橋箱崎町)の設計者として有名な「ジョサイア・コンドル」の大きな像を発見し興奮していたら、次に築地本願寺の設計をした「伊東忠太」が基本設計をした東大正門に出会い再び大興奮!
東大というと赤門が有名ですね。加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉(いえなり)の娘溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えました。赤門はその際に建立された御守殿門だそうです。当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人・居所を御守殿と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼びました。江戸時代の風習ではお姫様が亡くなるとその門は壊すことになっていたようですが、亡くなったのは明治元年。すでに新しい時代となっていたため、この赤門は取り壊すことはなく、今に至っているようです。歴史の分岐点を知ることができる文化遺産です
明治19年、大学令を受け帝国大学が本郷の地に開校しますが、当初は赤門が正門の役割を果たしていました。明治28年頃には現在の正門の位置に、木造の柵と柱、扉からなる「仮正門」が置かれます。その後キャンパス内の整備が進む一方、腐朽の進んだ仮正門があまりにみすぼらしいことから、正門の建設が計画されます。現在の正門は明治45年、当時の東京帝国大学第8代総長濱尾新の考案のもと、建築学科教授伊東忠太の基本設計、営繕課長山口孝吉の施工管理により建設されたということです。
東大の門は赤門だけじゃないんですね。
ジョサイア・コンドル像