日本橋七福神めぐり
日本橋七福神をお参りしました。七福神への信仰は、室町時代より始まったといわれています。
日本橋七福神めぐりは、日本で一番短時間に参拝でき、すべて神社だけで寺はないなどが特長です。歩く距離は約4キロメートルです。
七福神とは恵比寿様・大黒様・毘沙門天様・布袋様・弁財天様・寿老人様・福禄寿様の総称です。
七福神を参拝すると、七つの災難が除かれ、七つの福が舞い込んでくると言われています。
以前は恵比寿が2社で祀られており、神社は全てで8社となっていました。2024年現在、日本橋七福神の公式ホームページから宝田恵比寿神社は削除され巡拝用色紙を購入しても、当神社は入っていません。
人形町商店街HP、日本橋七福神公式HPを参考にしました。
小網神社 福禄寿と弁財天
社殿(昭和4年建立)が戦災を免れたり、同神社 の御守を受け戦地に赴いた兵士全員が無事帰還したことなどから、 近年「強運厄除の神」として信仰を集めています。連日たくさんの人が参拝をされている都内屈指のパワースポットです。小網神社といえば縁結びや銭洗いの井を目当てに参拝される人も多いのではないでしょうか。
銭洗いの井で小銭を洗って財布に入れておくと、金運がググッとアップすると言われています。
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した歴史の古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られています。
総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財。5月の大祭では神社大御輿で賑います。また、11月末の「どぶろく祭り」は奇祭として特に有名です。なお、“福禄寿”は福徳長寿の神、また“弁財天”は商売繁盛、学芸成就の神として親しまれています。
茶ノ木神社 布袋尊
かつて社の周りで、見事に生い茂っていた茶の木がその名の由来です。下総(千葉県)佐倉藩主堀田家の屋敷神として布袋神が祀られています。笑顔が優しい布袋様は、福徳円満と防災の神様として知られています。また、この屋敷内はもとより、町方にも火災が無かったことから、火伏せの神としても信仰を集めています。
水天宮 弁財天
水天宮の成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が文政元年(1818年)久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まりです。毎月5日に限り町民にも参拝が許され、当時から多くの人々に親しまれてきた日本橋七福神を代表するお社です。
お像は運慶作と伝えられる「弁財天」がまつられています。水天宮の弁財天は「宝生辨財天」と呼ばれ手に琵琶を持たず剣や矢を持つ勇ましい姿。これは人の弱い心を正し導く慈悲の姿といわれています。
普段お宮の扉は閉じられていますが、毎月5日と巳の日には、やさしいお顔が拝観でき、毎年5月の第2巳の日に例祭があります。水天宮は、安産・子授けのお宮として有名で、毎月戌の日は大変賑わって入場制限が行われることもあります。水天宮の境内には親子の犬の銅像の子宝いぬがあります。犬の像の周りを十二支の文字が刻まれた石が取り巻いています。
十二支の石の中から自分の干支を撫でながら祈願すると、安産、子授け、無事成長などの御利益があると言われています。
松島神社 大黒天
創建は口伝によると、鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定されます。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる 燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられます。
天正13 年(1585) 2月13日、邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々は 松島稲荷大明神と唱えました。御祭神は大国主神をはじめ、ご神格の 高い神様が、14柱と他社に比べて多いです。明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神として信仰されました。
現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っています。
笠間稲荷神社 寿老神
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本3大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。寿老神は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされています。
稲荷神社といえばお稲荷さん、境内にはたくさんの表情豊かなおキツネ様がいらっしゃいます。
椙森神社 恵比寿神
創建は約1千年前。藤原秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社です。
祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化しました。
江戸時代には神田・柳森神社、新橋・烏森神社などと共に「江戸三森」として信仰されました。
10月の恵比寿神大祭は毎年大いに盛り上がっています。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多いです。
寳田神社 恵比寿神
元々は江戸城前にあった宝田村の鎮守様です。運慶作とも伝えられる祭壇中央の見事な「恵比寿神」像は必見です。
慶長11年(1606年)三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受けたと伝えられています。
恒例の「べったら市」は、“べったり運がつく”と元禄時代から人気です。
勘解由(かげゆ)の娘は「まりあ(お雪)」という名で、ご主人は徳川家康に仕えた三浦按針,すなわちイギリス人ウイリアム・アダムスです。
末廣神社 毘沙門天
延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられました。
この辺りは元和3年(1617年)に幕府の許可の下、庄司甚右衛門らが葭(よし)の茂る沼沢地を開拓して造った遊女町葭(よし)原(吉原)で、末廣神社はその氏神様として信仰を集めていました。
ここに祀られているのは毘沙門様。 多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされています。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められています。
境内の御神木の根元に満願成就 末廣徳の石があります。
こちらの石の上にお金を置いて願いを唱えると、徳運が貯まり、また使っても徳運が広がると言われています。