達磨

【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り  

小網神社(福禄寿)

健康長寿の福禄寿と財運向上・学芸成就の弁財天は、神社と同じ境内地にあった万福寿寺に祀られていた。稲荷神を主祭神にする小網神社。社殿は関東大震災で消失するが、1929年伝統的な木造神殿建築として再建。大震災を乗り越えた由来から強運、厄除けの神としも崇められている。境内の井戸で金銭などを清め、財運を預かることから、東京銭洗い弁天とも呼ばれる。当神社の例大祭は毎年5月28日に行われる。ご利益とともに様々な徳を授ける日本橋七福神の一柱になっている。小網神社の人気のお守りはみみずくのお守り、強運しずく玉守り、合格祈願札だとか・・・元日の小網神社参拝おまいりの列は歩道では並びきれず、日本橋小学校の校庭を埋め尽くす人出であった。

松島神社(大国神)

松島神社(大国神) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

創建当時、周辺は入江の小島で松が生い茂っていたことから、この名がついた。明暦の大火前の周囲は歓楽街で、人形細工の職人や呉服商、歌舞伎役者、芸子の参拝が盛んだったという。2023年の「一の酉」は11月11日。例年通り、縁起熊手を購入。

笠間稲荷神社(寿老神)

笠間稲荷神社(寿老神) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

江戸時代中期、常陸国(現茨木県)笠間稲荷神社から分社。日本橋魚河岸の守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として信仰され紋三郎稲荷としても親しまれている。

水天宮(弁財天)

水天宮(弁財天) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

久留米藩主、有馬頼徳公が、加賀藩主前田斉広公と能楽の儀を競われた際、弁財天に願をかけ、勝利を収めたと伝わる。尊像は運慶の作と言われ、芸事をはじめ学業・金運のご利益があると信仰されている。明治5年に現在地に遷座。屋敷が解放された5の日、毎年5月5日に水天宮例祭が行われる。

 

茶ノ木神社(布袋尊)

茶ノ木神社(布袋尊) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

昔 この土地は下総国佐倉藩主堀田家に祭神として祀られていた稲荷神と伝わる。神社の周囲に埋め込まれていた茶ノ木が由来。長年火災が起こらなかったため「火伏の神」とも言われる。

寶田恵比寿神社(恵比寿神)

寶田恵比寿神社(恵比寿神) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

寶田神社は昔350年ほど前、江戸場外にあった寶田村の鎮守。祭壇に安置する恵比寿神は1606年幕府馬役の馬込勘解由が徳川家康から授かったものと伝えられている。作者は名匠運慶の作と云われる。寶田恵比寿神は商売繁盛・家族繁栄の守護神とし10月19日「べったら市」、20日には「恵比寿神社祭」が盛大に執り行われる。今日元旦、社の前にはお守り授与とべったら漬けが売られている。おいしいべったら漬けでした。

椙森神社(恵比寿神)

椙森神社(恵比寿神) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

椙森神社は東京がまだ武蔵野と言われていた時代に鎮座、江戸三森のひとつで「福徳・商売」の神として信仰されてきました。またこの神社は富くじが行われたことで知られ、よく落語の演目に登場します。水盤舎横の「富塚の碑」は関東大震災で倒壊したため、1954年に再建(区民有形文化財)。

末廣神社(毘沙門天)

末廣神社(毘沙門天) 【龍とし】日本橋七福神(八神社)巡り       

社名は社殿修復時に扇一柄発見されたことにちなむ(1675年)。旧吉原時代からの氏子が篤き信仰をしてきた。勝運を授け、疫病を沈め、災難を避ける・・・様々なご神徳が知られる人気神社のひとつ。なお路上には懐かしい獅子舞がでて邪気払い!

 

 

 

 

 

 

注)日本橋七福神巡り参考:日本橋七福神ガイド、境内掲示板、各神社webサイトによります。