おむおむ

中央区ものしりクイズ⑦


中央区立シニアセンターの入口にクイズが置かれています。

 

昨年の5月に100号記念で初めて「中央区ものしりクイズ」が発行されました。

 

今回のクイズは⑦のご紹介です。

解答と解説

1

戦後、被災した天井のない両国国技館や神宮外苑での青空興行で、本場所が行われました。雨が降れば順延です。

1949年、天気に左右されず興行のできる仮設国技館が浜町公園に作られ、初場所が行われました。優勝は、新横綱東富士。

次の5月場所では、大関増位山が優勝、浜町から両国の出羽海部屋まで徒歩での優勝パレードでした。

 大活躍の仮設浜町国技館は、この場所限りで取壊され、1950年からは、蔵前の仮設国技館で興行されることになりました。

2

銀座ルール 「56m」。 これは地区計画「銀座ルール」で決められた建物の高さ制限を示す数字です。 銀座地区の建物は,一部の大規模開発を除いてこの制限内に収まっています。1919年の市街地建築物法で建築物の高さが31mと制限されていた中、建築基準法改正や中央区と銀座通連合会との協議により、主要道路沿いの建築物の高さを最高56mとすることに決定。 資生堂ビルはこの規定が最初に適用された建物です。

3

織田信長の弟で茶人として有名であった織田長益(有楽斎うらくさい)の名前に由来。1603年(慶長8年)、徳川家康が征夷大将軍として江戸幕府を開いた際、有楽斎は数寄屋橋御門の周辺の土地と屋敷を与えられ、この辺りを「有楽原うらくはら」と呼ぶようになりました。1872年(明治5年)この町は「有楽町」と名付けらました。

数寄屋橋は1629年(寛永6年)に江戸城外堀に架けられた橋。「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味し、数寄屋橋の語源は「有楽斎の茶室」からきています。この橋は、数寄屋橋交差点や数寄屋橋公園などにその名前が残っています。

銀座みゆき通り泰明小学校前から帝国ホテル方面に向かうと、すぐに高速道路の高架、続いてJRの高架があります。

この二つの高架の間(向かって左側)に、幅約2.3m、長さ約300mにも及ぶ細くて長いスペースが、新幸橋交差点付近まではるかに伸びています。 

左側が東京高速道路、右側がJR東海道新幹線の高架です。ここは、かつて江戸城の外堀があった跡で、かなり下っていることから、外堀の堀底もイメージされます。

交詢社通りにある交詢社ビルは日本で最初の知識人社交サロンです。福沢諭吉ら慶応義塾出身者が1880年(明治13)に創立。 福沢諭吉を会長に,大隈重信・後藤象二郎をはじめ華族・官僚・学者・地主・商工業者などが参加しました。

 中央区制40周年を記念して、区のシンボルにふさわしい「区の木」「区の花」を昭和61年5月15日から7月15日まで公募し、東京都中央区区の木・区の花選定委員会(住民代表等で構成)において、応募結果を参考に選定されました。 

中央区の「区の花」はつつじ「区の木」はやなぎに決まりました。


中央区立シニアセンター

〒104-0051 東京都中央区佃1丁目11−1