土下座しなくて大丈夫!?日本橋
『江戸名所図会』十返舎一九 国立国会図書館デジタルコレクション
『江戸名所図会』と言えば長谷川雪旦の精密正確な絵で知られる本が有名ですが、それより約20年早く同名の『江戸名所図会』で十返舎一九が狂歌絵本を出しています。その本の日本橋の絵です。
添えられている狂歌は「なまくさき にほんはしとて 人こみに はさまれなから わたる魚うり 千猿亭業枝」
日本橋の上に町人、棒手振りの魚売り、そして一番奥に挟箱を持った二人と毛槍が見えます。その姿は典型的な大名行列……近い!近くないですか?大名行列。いくら大混雑の日本橋の様子を描いたからと言って土下座もせず大名行列と並ぶとは……
土下座をしなければならない相手は?
『東海道五十三次 日本橋朝之景』歌川広重 国立国会図書館デジタルコレクション
とても有名な日本橋の朝の景色ですね。橋の手前の木戸が開いて早朝から人々の生活が始まっています。左手前にいる天秤棒に魚や野菜を積んでいる人たちは棒手振(ぼてふり)と呼ばれる行商人。ちょっと見づらいですが一番手前にいる人の桶の中にはまな板も入っています。お願いすれば買った魚をその場でさばいてくれたそうです。
橋の向こうからは大名行列がやってきます。
十返舎一九の絵ほどではありませんが、こちらでも行商人たちは慌てて土下座という雰囲気ではありません。ほらほら、端によって。端によって。あるいは、行列来たからさっさと退散、退散。とでも言っているようにも見えます。
私が小学校の頃に習ったように頭を地面にすりつけて決して顔をあげてはいけない。土下座をしなかったら切り捨て御免といった緊迫感は感じられません。
実は、江戸御府内に限っては御三家(尾張、紀州、水戸)、御三卿(田安、清水、一橋)以外の大名には土下座をしなくてよいということになっていました。なぜなら江戸は参勤交代で多くの大名行列が行きかう場所。行列が来るたびに土下座をしていては交通渋滞をおこすからです。
加賀百万石といわれた最大手の大名前田家の行列にも土下座しなくてよいのです。しかし、前田家13代斉泰(なりやす)の奥方は11代将軍徳川家斉(いえなり)の娘溶姫(やすひめ・ようひめ)です。将軍家には土下座が必要です。従って将軍の娘である溶姫の行列には土下座が必要でした。
ちなみに今の東京大学の敷地は加賀藩上屋敷でした。赤門は溶姫のお輿入れのために建てられた門であることは有名ですね。
日本橋では大名行列に土下座をしなくても大丈夫だったようです。この絵の魚屋さんたちが無事だったようで安心しました。
でも、誰の行列かどうやって見極めたのでしょうか。
行列の主は誰?
『袖珍武鑑』国立国会図書館デジタルコレクション
江戸初期から明治期まで9代続いた江戸出版業界最大大手の須原屋茂兵衛の店から毎年『武鑑』が出版されました。武鑑とは武家の名鑑です。大名家の当主や家族、系図、石高、将軍への献上品、着物や駕籠に付けられた紋章、大名行列の道具(槍や長柄傘など)の図などが載っていてこれを見れば大名がどんな家系の人なのか、やって来た大名行列が誰の行列なのかがわかります。
東海道五十三次の絵をもう一度ご覧ください。
行列の先頭の二人が担いでいるのは挟箱。箱の中には大名の着替えなどが入っています。その後ろには2本の毛槍。さらに奥に見えるのは馬印。各大名家により形が異なるのでこれを見ると誰の行列か見分けられます。
誰の行列か見分けることを最も必要としたのは、江戸城の見付や番所の役人、大名行列の中の小人押(こびとおさえ)という役職の人でした。大名の身分によって江戸城への登下城の順番や、行列がすれ違う時の作法があったので相手の行列が誰であるのか即座に判別しそれによって行動を変える指示を出すことでトラブルを避ける役目がありました。
その他商人たちも武家と取引する場合に家を判別するのに使用したり、町人や江戸を訪れた旅人が豪華な大名行列を見物するガイドブックとしても役立ちました。
写真は『袖珍(しゅうぎょく)武鑑』というもので本来の武鑑より小型のものです。懐や袖に入れて持ち運びしやすいサイズ。ポケット武鑑といった感じでしょうか。行列見物には便利そうですね。
大名行列のみどころ
『北斎漫画』(部分)葛飾北斎 国立国会図書館デジタルコレクション
土下座が必要な行列かどうか武鑑でみておこうと思うのは命にかかわるので理解できますが、土下座が必要ない大名行列を武鑑を頼りに見物とはどういうことでしょうか?
お金のかかる大名行列はそれぞれの大名が自身の格を社会に示す手段でした。そのように人にアピールするための行列を見たいと思うのは自然な事でしょう。
先頭の槍持ちは長い槍を投げあう芸当などを見せました。北斎漫画にその槍持ち奴(やっこ)の絵があります。この絵では片足をお尻の方まで高く蹴り上げ、長くて頭の方が重くバランスがとりにくいと思われる毛槍を片手で支え踊るように歩いている様子が描かれています。落とさずにできたら思わず拍手したくなってしまいそうです。北斎もこの絵を描くために江戸御府内のどこかで大名行列を見物していたのかもしれませんね。
槍持ちのパフォーマンスや大名の乗った豪華な駕籠、紋付の衣装など見どころはたくさんあったのでしょう。しかし、槍持ちのパフォーマンスは国元を出るときと江戸に入ったときだけ。長い道中はそんなことをしている暇はありません。ひたすら目的地目指して歩くだけです。
行列の人数もあまり多いと道中の出費もかさみます。そこで国元を出るときと江戸に入るときだけ家臣や行列を構成するために雇用した人を使って人数を増して行列を長くして豪華にみせていたそうです。
江戸府内を通行する大名行列。私が思っていたよりずっと緊迫感は少なく見世物要素があったようです。
日本橋 高札場跡
『東海道五十三次 日本橋』の絵、棒手振の商人の後ろに高札場が見えます。
現在は日本橋花の広場になっている高札場跡に高札の形を模した「日本橋由来記」が建っています。
【日本橋 花の広場 高札場跡】
東京メトロ銀座線、東西線、都営地下鉄浅草線「日本橋駅」B9出口 日本橋観光案内所横
【参考文献】
『参勤交代の真相』 安藤雄一郎 徳間文庫カレッジ
『江戸の武家名鑑』 藤實久美子 吉川弘文館