情報化社会の最初の一歩を確かめよう「検査業務開始の地」
浜離宮恩賜庭園にもほど近いところに〔銀座郵便局〕があります。この郵便局の開設は意外と新しく、1991(平成3)年です。以前は〔東京南部小包集中局〕といい、昭和後半から激増した小包を効率よくさばくための施設でした。民間の配送サービスが広く普及してからは需要は落ち着き、今の普通郵便局に衣替えしたということです。
その郵便局のすぐ脇に「検査業務開始の地」という記念碑が建てられています。碑文を読むと「明治9年6月17日、この地に工部省電信寮の碍子試験所が発足して・・・」と記述されています。明治の文明開化の際に電信技術が導入され、送信網構築に欠かせない「碍子(がいし)」の検査を行った場所ということです。
そもそも「電信技術」は1853(嘉永6)年に、かのペリー提督が黒船で日本に持ってきたのが始まりです。アメリカで実用化されて10年後のことでした。その頃の「碍子」はガラス製でした。明治の初めは、日本でも輸入品の「ガラス碍子」を用いて電信網を少しずつ広げていきました。
その後、1870(明治3)年になると、佐賀の八代深川栄左衛門(後の香蘭社創設者)が日本伝統の技術を活用して「陶器製の碍子」を製造し始めます。これが電信網の普及に大いに貢献しました。そうなると品質検査が必要となり、この地に検査所が設けられたということです。
インターネットが当たり前になった今日、150年以上前の人たちが電信という驚くべき技術に目を見張ったことを想像するのは難しいかもしれませんが、後の情報化社会の第一歩だったと思うと感慨深いものがあります。近くを通られた際にはそんな時の流れを感じていただけたらと思います。