1582年6月 徳川家康公がこの川を渡った⁉
~東京の佃島と大阪の佃島の関係性を探る旅~
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佃煮といえば東京の佃島の名物だと思っているあなた、この定説を疑ってみるのはいかがでしょうか?本能寺の変が起きた直後、徳川家康公は京都、大阪付近にいました。命を狙われることになった家康公。諸説ありますが、大阪から、まずは尼崎方向へ向かったとも言われています。逃避行を助けたのは大阪佃島の漁師たち。1590年に家康公に呼ばれて江戸へ旅立つ30数名の大坂佃島の住民たち。佃煮は彼らの保存食。そんな話に興味をもった「たけちゃん」は大阪へ旅立ったのである。
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大阪梅田から阪神電車で9分。千舟を目指します。千舟駅付近の住所は大阪市西淀川区佃です。千舟という地名は駅から川を南に越えたあたりなのですが、なぜか駅名は千舟駅です。佃を地図で見ると神崎川の中洲だとわかります。ここが大阪の佃島です。千舟駅から「田蓑神社」を目指します。どことなく東京の佃の雰囲気と似ている路地裏を歩き、佃小学校の横を通り、駅から15分で神社に到着。そこで見つけた「佃漁民ゆかりの地」。
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大阪の佃島にある「田蓑神社」。徳川家康公は「本能寺の変」直後にこの神社を訪れたようです。田蓑神社のホームページから一部抜粋します。大阪の佃と東京の佃との関係は奥が深そうなので今後も継続して調査します。
天正年間、徳川家康公この地に立ちよられ多田の廟(川西市多田神社)に参詣の折、田蓑嶋漁夫等、漁船をつかって、神崎川の渡船を勤めました。その縁により、漁民等には「全国どこで漁をしても良し又、税はいらない」という特別のごほうびをいただき、漁業の一方、田も作れと命じられ、その竟をもって田蓑嶋を佃と改めました。
天正十八年(1590年)八月一日家康公が関東へ下降の際、田蓑神社宮司平岡正太夫の弟、権太夫好次を含む三十四人の村人が江戸へ下りました。後に幕府より干潟を賜り、故郷の名をとり佃島と定め、田蓑神社の御分神霊を奉戴しました。これが、佃煮発祥の地として有名な、東京の佃島と同地の住吉神社の起源です。
後の寛永八年(1631年)田蓑嶋神社内に、徳川家康公が奉られました。
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