べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 43
~ 葛飾北斎 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第41話、蔦重さん、初めておつよさんを「おっかさん」と呼びましたね。おつよさん役の高岡早紀さん、それからもちろん蔦重役の横浜流星さん、歌麿役の染谷将太さん、それからそれからおていさん役の橋本愛さん、すばらしい演技を見せていただきありがとうございます。言うまでもなく、他の役者さんにも感謝します。
41話に登場しました人物は、
シリーズ29蔦重、シリーズ23喜多川歌麿、シリーズ25てい、シリーズ27つよ、シリーズ42滝沢琑吉(のちの曲亭馬琴)、そしてシリーズ⑤須原屋市兵衛。
今回は浮世絵の巨匠「葛飾北斎(かつしかほくさい)」を採り上げます。40話より登場しました。
勝川春章門下の勝川春朗(かつかわしゅんろう)、これがのちの葛飾北斎となります。
なお、冒頭画像は日本橋蛎殻町2-4-1、水天宮、左の狛犬です。
これまでは右→左の狛犬・狛狐ご紹介でしたが、今回は逆に左→右にしてみました。
それでは・・・
葛飾北斎は・・・
画像は同じく水天宮、右の狛犬です。
宝暦10年(1760年) ー 嘉永2年(1849年)
現在の東京都墨田区に生まれます。武蔵国葛飾郡、ですから「葛飾(北斎)」です。
生涯で90回以上も引っ越しをしたそうですが、そのほとんどは現在の墨田区内だったそうです。
19歳で、当時の似顔役者絵の第一人者・勝川春章に入門します。「勝川春朗」です。
春朗期後期から浮世絵だけでなく、狩野派、土佐派、西洋画法など、さまざまな種類の絵画を学んでいたといわれています。
晩年の錦絵「冨嶽三十六景」でも、単に景観や人々の生活を描写するのではなく、ひとつの対象物にどれくらいの見かたがあり、どう変化をみせるのかに注目しています。
北斎の絵は存命の時代から海外でも知られていたそうです。
シーボルトは自著「Nippon」の挿絵に「北斎漫画」の図柄を用いています。
1867年パリ万国博覧会ではジャポニズム(日本趣味)が起こりました。
浮世絵もこの波に乗り、印象派誕生のきっかけとなったそうです。
死の直前、北斎は「天我(われ)をして5年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言ったそうです。
辞世の句は「ひと魂(だま)で ゆく気散じや 夏の原」。
絵師の道を追求し続けた北斎さん、亡くなった後は人魂(ひとだま)となって夏の草原をのびのびと飛んでゆこう、と詠んでいます。
参考文献 別冊太陽 「浮世絵師列伝」 小林忠:監修 神谷浩:記述部分 平凡社刊
すみだ北斎美術館ホームページ
「べらぼう・・・」での葛飾北斎は・・・
画像は日本橋人形町2-25-20、末廣神社、右の狛犬です。
野生爆弾のくっきー!さんが演じています。
勝川春朗、のちの葛飾北斎
~ 『富嶽三十六景』、今なお世界中から愛される天才絵師 ~
幼くして絵に親しみ、勝川派の門下に入って浮世絵を学ぶ。
師・勝川春章(前野朋哉さん)に連れられて、蔦重(横浜流星さん)の耕書堂を訪ねる。
史実では、蔦重亡き後も画号を幾度も改めながら、独自の表現を追い求め続けた。
絵の描き方を教える入門書なども手がけ、従来の浮世絵の枠を超えて人々から高く評価された。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー
冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖浪裏(なみうら)
画像は同じく末廣神社、左の狛犬です。
この作品、誰もがご存じですよね。
画像は文化遺産オンラインでご覧ください。
大きなうねりが、波の底から急にせり上がって波頭へと向かい、そして砕け散る。
すべての波がこの動きに呼応し、求心的で大きなムーブメントは、泰然として動じない富士に収斂(しゅうれん:ひとつにまとまること)する。
動と静、遠と近の明快な対比など、極めて単純な構成原理から生まれた偉大な表現である。
参考文献 別冊太陽 「浮世絵師列伝」 神谷浩:執筆部分 平凡社刊
・・・舟は日本橋を往来する「押送り(おしおくり)」でしょうか。荒波に耐えていますね。
画家ゴッホは「北斎の波は爪で、船が爪につかまれている」と表現し、影響を受けたことを語っています。
画家ドガは「北斎漫画」を参考にした人物像を描いています。
ガラス工芸家ガレは「北斎漫画」の鯉を図案に取り入れた花瓶を世に送り出しています。
ドビュッシーはこの絵を見て交響詩<海>を作曲したそうです。
このように浮世絵が即海外に広まったのは、陶器を包む緩衝材に浮世絵が描かれていたからだそうです。
また1998年アメリカ・フォトジャーナル誌「LIFE」発表の「ザ ライフ ミレニアム」の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、日本人でただ一人だけ北斎が選ばれています。
このシリーズ23の「喜多川歌麿」の「ポッピンを吹く娘」ご紹介の際に使用しました画像です。
お品は日本橋の老舗・山本海苔店さんの「東京プレミアムおつまみ海苔」です。
左がその「ポッピンを吹く娘」絵柄の明太子の味(税込864円)でしたが、右はわさびごまの味(同864円)です。
今回ご紹介の葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の絵柄になっていますね。
なお、「山本海苔店さんにつきまして」と題しまして、シリーズ23にて山本海苔店をご紹介申し上げておりますので、ぜひご覧になってください。
日本橋室町1-6ー3 山本海苔店本店 ※こちらの所在地は11月2日(日)までとなります。
11月4日(火)より、日本橋室町1-8-3 室町NSビル1階に移ります。なお、電話番号等は変更ございません。
「北斎画法」 編者:和田京子 平凡社刊
参考文献をもっと詳しくご紹介します。
北斎は絵手本を23種類、残したそうです。
江戸後期、当時の習画は師匠から渡される肉筆手本を臨書するのが常でした。
北斎は江戸ばかりか地方にも北斎を慕う門人や私淑者を少なくとも200人以上抱えており、請われるままいちいち肉筆手本を渡していては、到底間に合うはずもありませんでした。
職業絵師のみならず、読み書きに次いで習画を求める他業種や一般庶民も多かったことから、絵手本を量産できる版本の需要が高まりました。
北斎は「絵手本」の版本に着手します・・・。
最終的に落ち着いたのは、皆さんご存じの絵手本の代表格「北斎漫画」。
「とりとめもなく漫然と描いた絵」となっています。
894ページもあります超厚い本です。
本の背の反対の部分、本の側面、「小口(こぐち)」と言うんですね、そこにも絵が描かれています。
本書は入門編・発展編・上級編に分かれており、「北斎先生による描写稽古」が受けられます。
映画「おーい、応為」、10月17日より公開中
北斎と生涯を共にし、誰もが知るこの天才絵師の姿を、間近で見続けたひとりの女性がいた。
彼女の名は“お栄”。
北斎とは父娘であり、そして師弟でもあったお栄は、北斎の右腕として活躍し、やがて、いつも北斎から「おーい、おーい」と呼ばれることから「葛飾応為(おうい)」という号を授かり、当時は珍しかった女性の絵師として江戸の芸術界を駆けあがっていく。
その性格は豪胆で自由。
茶のひとつもまともに淹れられず、針仕事も不得意だった彼女が、父であり師である北斎の背中から学んだこと。
それは描くこと、それこそが生きることー。
限りある命を燃やした応為の、これまで語られなかった日々を映し出す傑作が、ここに誕生する。
~ 映画「おーい、応為」ホームページより ~
・・・葛飾応為を長澤まさみさん、葛飾北斎を永瀬正敏さん、北斎門下の渓斎英泉(けいさいえいせん)を髙橋海人さんが演じています。
・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、隠れたエピソードを掘り起こしていきたいと思います。
オフィシャル