rosemary sea

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第22話、いろいろ明らかになりますね。

吉原通いの花雲助(はなのくもすけ)、誰袖(たがそで)にも蔦重にも正体・田沼意知を明かしましたね。

22話での、このシリーズに関係する登場人物を列記します。

田沼意知(シリーズ26予定)、松前廣年(次回シリーズ24にてご紹介します)、シリーズ⑳恋川春町、朋誠堂喜三二(後日必ず)、シリーズ21大田南畝、シリーズ⑬北尾政演(山東京伝)、元木網(後にご紹介)・・・。

 

今回は「喜多川歌麿(きたがわうたまろ)」につきまして書かせていただきます。今回も登場しました。

歌麿さん、喜三二とともに春町復帰作戦のアシスト、見事でした。

喜多川歌麿の師匠は鳥山石燕(せきえん)、木挽町狩野家(こびきちょうかのうけ)の門人です。

木挽町=現在の銀座ですから、歌麿も中央区との繋がりあり、と判断します。

 

なお、冒頭画像は新川2-25-11、於岩稲荷田宮神社(おいわいなりたみやじんじゃ)です。

於岩稲荷田宮神社はこちらでご紹介しています。

⇒ 2021年2月5日「茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり⑤ ~於岩稲荷田宮神社~」

それでは・・・

 

 

喜多川歌麿は・・・

喜多川歌麿は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

画像は新川2-20、徳船(とくふね)稲荷神社です。

徳船稲荷神社はこちらでご紹介しています。

⇒ 2021年2月10日「茅場町駅・八丁堀駅周辺の静かな佇まいの神社めぐり⑥ ~徳船稲荷神社~」

 

生年不詳。

浮世絵師、鳥山石燕に師事。当初は「北川豊章(とよあき)」と名乗る。

(「べらぼう・・・」では北川豊章=志水燕十【しみずえんじゅう】、捨吉【すてきち】=喜多川歌麿として描かれています。)

狂歌師としては主に「筆の綾丸(あやまる)」と名乗る。

天明期から寛政の初めごろ大流行しました「鳥居清長風」の女絵にとってかわる、新しい女絵を創始しました。

なお、「北川」から「喜多川」に変えたのはおそらく蔦重の考え、蔦重の本姓は喜多川でした。

すなわち蔦重の養家、吉原の妓楼・蔦屋理兵衛の本姓なのです。

 

蔦重は財産の半分を没収された寛政3年(1791年)の翌年、思い切って大きな勝負に出ました。

喜多川歌麿に色気のある仕草を見せる美人を題材とした大首絵のシリーズ「婦人相學十躰(ふじんそうがくじってい)」、「婦女人相十品(ふにょにんそうじっぽん)」などを描かせました。

大首絵とは、人物の上半身だけをクローズアップして描き出す手法。

女性は全身を描くのが常識でしたので、大胆な切り取りは、見る者にとって大きなインパクトを与えました。

しかも、背景には雲母の粉末をのせる雲母摺(きらずり)を使った、贅沢なシリーズでした。

大首絵シリーズに歌麿をキャスティングしましたのは、歌麿の描写力に期待してのことでしょう。

歌麿は些細な指使いや仕草、顔や体の傾きによって見事に感情をあぶり出しました。

 

歌麿は次第に蔦重から距離を置くようになります。原因は、

〇 売れてしまったため、他の版元からリクルートされることが多くなった

〇 蔦重が役者絵の東洲斎写楽を可愛がることにジェラシーを感じた

などと言われています。

 

蔦重病没4年後の文化元年(1801年)、両手首に枷(かせ)を付けられ、自宅軟禁となります。

以前、山東京伝も受けた、手鎖(てじょう)の刑です。

当時、織田信長・豊臣秀吉以降の実在の武士を錦絵で描くことは禁じられていました。

歌麿はそれを破り、秀吉を描いた「絵本太閤記」をベースとして「太閤五妻洛東遊観之図(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)」という錦絵を描いてしまったのです。

この刑で歌麿は衰弱していきました。

ただ、歌麿の死期を悟った版元からの依頼が激増したそうです。

2年後の文化3年(1803年)、歌麿は亡くなりました。

 

参考文献

ノジュール 2025年2月 「大特集 蔦屋重三郎を知る旅」 JTBパブリッシング刊

別冊太陽 日本のこころ89 「蔦屋重三郎の仕事」 平凡社刊

アート・ビギナーズ・コレクション 「もっと知りたい 喜多川歌麿 生涯と作品」 田辺昌子:著 東京美術刊

太陽シリーズ① 太陽浮世絵シリーズ 「歌麿」 1975 春 澁井清:監修 平凡社刊

 

「べらぼう・・・」での喜多川歌麿は・・・

「べらぼう・・・」での喜多川歌麿は・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

画像は人形町2-15-2、松島神社です。

松島神社はこちらでご紹介しています。

⇒ 2020年8月17日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社⑯ ~松島神社~」

 

染谷将太(そめたにしょうた)さんが演じています。

ドラマ「ブラッシュアップライフ」でのふくちゃん、楽しませていただきました。

 

喜多川歌麿

~ 美人画で江戸に旋風を巻き起こした天才絵師 ~

幼いころ、絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)のもとで絵を学び、その後、蔦重と出会う。

蔦重が洒落本、黄表紙、狂歌本と次々と新たな出版物を手がけていく中で、挿絵の仕事などを任され、自らの画力を磨いていく。

やがて寛政の改革で時代が変わると、蔦重と浮世絵の美人画を仕掛け、その才能を一気に開花させる。

美人画は江戸で大評判となり、人気絵師の地位を確立していく。

 

ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページ より ー

 

大名屋敷の山東京伝

喜多川歌麿の作品を1枚ご紹介します。

「大名屋敷の山東京伝」です。

以下のホームページでご覧ください。

⇒ 城西大学水田美術館コレクションデータベース

奥に豪華な庭園の広がる大名屋敷の大広間で、笛や太鼓の奏者を背に、娘が花笠をかぶって舞っており、手前にさまざまな立場の人物が描かれている。・・・(中略)・・・

左の衝立の陰には、この座の仕掛人のような立場にも見える男がいて、女中のひとりが意味ありげに耳元で何か話しかけている。

この男の羽織には、はっきりと「京」「伝」の紋が見え、当時黄表紙などで絶大な人気を得ていた山東京伝(1761~1816)であることが判明する。・・・(後略)・・・

(以上の文は アート・ビギナーズ・コレクション 「もっと知りたい喜多川歌麿 生涯と作品」 田辺昌子:著 東京美術刊 より)

山東京伝につきましては、このシリーズ⑬ にてご紹介済です。

なお、この作品の版元・高津屋伊助はにんべんの3代目当主・高津屋伊兵衛の4女の婿です。神田に分業して版元となりました。共版の版元・伏見屋善六は伊助の生家なのです。

にんべんさんは日本橋室町の老舗、鰹節やだしの製造販売として有名です。

創業は元禄12年(1699年)です。今年で326年、すばらしいですね。

 

もう1枚だけご紹介させてください。

「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぽん)」の中の「ポッピンを吹く娘」です。

ロズマリは「ビードロを吹く女」と記憶していたのですが・・・。

以下のホームページでご覧ください。

⇒ 文化遺産オンライン

上品な娘、まだ、びーどろの、ぺこぽんと、口で吸えば音のするオモチャをもてあそんだ幼さののこっている子、・・・。

(太陽シリーズ① 太陽浮世絵シリーズ 「歌麿」 1975 春 澁井清:監修 平凡社刊 より)

美人大首絵の代表作とも言える、すばらしい錦絵ですね。

 

 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

日本橋の老舗・山本海苔店さんでも歌麿「ポッピンを吹く娘」の絵柄のお品を出されていました。

画像右側の、「TOKYO PREMIUM おつまみ海苔・明太子の味(税込864円)」です。

左のTOKYO PREMIUM おつまみ海苔2缶詰合せ(税込1,728円)」の右側も同じ缶になっております。

なお、中央右の「わさびごまの味(同864円)」は葛飾北斎の「冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖浪裏(なみうら)」の絵柄です。

後日の葛飾北斎ご紹介の際に改めて載せさせていただきます。

 

 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

日本橋室町1-6-3の山本海苔店本店さんの入り口自動ドアすぐ右のショーウインドウに飾られていました。

 

山本海苔店につきまして・・・

山本海苔店につきまして・・・ べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

※ 掲載につきまして、株式会社山本海苔店の広報ご担当者様のご了解を得ております。

 

◎ 嘉永2年(1849年)、初代山本德次郎、日本橋室町1丁目に創業

現在も本店のあるこの地は、寛永9年(1632年)に作成された「寛永江戸図」にもすでに「むろまち一丁目」と記載されています。

また「日本橋」は江戸開府の1603年(慶長8年)に架けられ、以後19回の架け替えを重ね現在の橋は1911年(明治44年)に完成したものです。

初代が生を受けた文化・文政時代(1801~1829年)は「大江戸文化」の爛熟期(らんじゅくき)で、それに続く「天保改革」(1841年)を迎え政治経済の大変革期となりました。

創業当時すでに日本橋には魚河岸があり各種の商業が栄え賑わっていました。

 

◎ 1858年(安政5年)、二代目山本德次郎を襲名 海苔に「マーケティング」の手法を取り入れる

二代目は現在で言う「マーケティング」の手法を味附海苔創製後に取り入れ、顧客ニーズに応じ海苔を8種類に分類して販売。

当時としては画期的であったこの販売方法は顧客の支持を得て「海苔は山本」と言われるようになる。

二代目の取り入れた8種類の分類とは

① 食(自家用)

② 棚(進物用)

③ 焼(焼海苔の原料用)

④ 味(味附海苔の原料用)

⑤ 寿司(寿司屋の業務用)

⑥ 蕎麦(蕎麦屋の業務用)

⑦ 裏(卸用)

⑧ 大和(佃煮用)

 

◎ 1869年(明治2年)、日本で初めて「味附海苔」を創製

味附海苔を創製。

明治天皇の京都還幸に際し、御所への東都土産のご下命を賜り、味附海苔を苦心創案。

これを機に宮内省(庁)の御用を賜るようになった。

二代目は商人ながらも千葉周作の門下生として、神田於玉ヶ池の千葉道場で剣道に励み、同門であった山岡鉄舟の知遇を得る。

※ 宮内省御用達制度は1954年(昭和29年)に廃止。

その後明治天皇の侍従となった山岡鉄舟と二代目の親交は深く、禅・剣・書の達人といわれた鉄舟の書が弊店にはいくつか残されています。

弊社の包装紙を留める四角の封函シールに「東海名産無双佳品」の文字が読み取れますが、これも鉄舟の筆によるものです。

「東海の名産にしてまたとない良い品である」という意味ですが、弊社が一年に一度販売する最上級の商品「無双佳品」はここから命名されたのです。

 

~ 山本海苔店ホームページより抜粋 ~

 

 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 23
  ~ 喜多川歌麿・そして山本海苔店 ~

・・・NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、著名人もそうでない人物も、スルーせず採り上げたい、と思います。