長崎屋に通った八面六臂な人

「石町の鐘は紅毛まで聞こえ」と川柳に詠まれたのは、時の鐘の近くに長崎から江戸参府するオランダ商館長(カピタン)の一行が定宿として利用した「長崎屋」があったためです。

随行者には、医師や博学者など西洋の知識人が含まれ、西洋文明との数少ない交流の場の1つとなっていました。カピタン一行の滞在中に日本橋本石町の長崎屋を訪れた人物の中には、平賀源内がおりました。

本草学者、地質学者、蘭学者、戯作者など、八面六臂の活躍を見せる平賀源内は、1774年に蔦屋重三郎の依頼で吉原細見『細見嗚呼御江戸』に序文を寄せ、大きな話題となりました。

長崎滞在中の1770年に、オランダ通詞から手に入れた静電気発生装置エレキテルの構造を解明し、たびたび実験しています。1776年に深川清住町(現・東京都江東区清澄1)の自宅で、復元修理に成功しました。現在、その実験の地近くに「平賀源内電気実験の地」碑が立っています。