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■中央区歴史逍遥<7> 近代国家 殖産興業の担い手養成 ~工手学校創立の地~

 築地7丁目に工学院大学発祥之地の案内板が建っている。ここは明治日本の産業振興の担い手養成を目的とした「工手学校」創立地であった。

 「工手(こうしゅ)」とは創立者の渡辺洪基によると「将を助け、卒を導く下士官」とのこと。当時は生産現場における専門的な技術者や管理者が圧倒的に足りなかったことで、技師と職工の中間の技術者を養成するための学校であった。

 創立者の渡辺洪基(わたなべひろもと/こうき、1848-1901)は、現福井県越前市の生まれ。江戸で佐藤舜海や福沢諭吉に師事し慶應義塾を卒業した。東京府知事、帝国大学初代総長などを歴任。

工手学校のあらまし

工手学校のあらまし ■中央区歴史逍遥<7> 近代国家 殖産興業の担い手養成 ~工手学校創立の地~
 ■中央区歴史逍遥<7> 近代国家 殖産興業の担い手養成 ~工手学校創立の地~

 国立国会図書館デジタルコレクション『工手学校一覧』(明治27年(1894)版)から同校のあらましを要約してみよう。

 「設立趣旨は、専門技師の補助たるべき工手を養成する学校を設立し、我が国工業の隆盛を企画するものである。沿革は当時木挽町にあった商工徒弟講習所を仮校舎に充て、明治21年(1888)2月6日開校式を挙げた(注)。

 岩崎弥太郎、大倉喜八郎、高島嘉右衛門、古河市兵衛、渋沢栄一らからの寄付7500余円をもって、明治21年5月7日、京橋区南小田原町4丁目8番地の元‣築地病院の敷地建物を購入し、新たに教室を増築して同年9月7日に移転した。

 課程は土木、機械、電工、造家(建築)、造船、採鉱、冶金、製造舎密(化学)の8学科。予科1年・本科1年の2か年の速成を旨とした。

 在校生は明治21年2月は228人、22年9月には609人。卒業生は、明治22年7月の第1回は121人で、明治26年7月の第9回までに累計888人を輩出した。授業料は創立から明治22年2月までは予科本科とも1か月1円、別に校費25銭とした。」

 明治27年当時 敷地面積506.1坪、一部2階建て、延べ建坪293.343坪
(注)工学院大学HPでは、学園創立記念日は工手学校創立協議会が開催された、明治20年(1887)10月31日となっている。

工学院大学学園発祥之地記念碑

工学院大学学園発祥之地記念碑 ■中央区歴史逍遥<7> 近代国家 殖産興業の担い手養成 ~工手学校創立の地~

 あかつき公園入口にある記念碑

 昭和3年(1928)、淀橋区淀橋町大字角筈(現新宿区西新宿)に移転、新校舎竣工、工学院と校名変更した。昭和24年(1949)、工学院大学となる。