湊っ子ちゃん

銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

夏ですね!

ビールですね!

 

明治32年(1899)8月、銀座8丁目に日本初のビヤホールが開業しました。

現在の、「ビヤホールライオン銀座七丁目店」です。

 

日本麦酒醸造有限会社(現在のサッポロビール株式会社)社長、

日本のビール王と称された馬越恭平は、

明治22年(1889)、いまの目黒区三田にて醸造を開始、

商品名を「恵比寿ビール」としました。

できたての生ビールを工場直送で味わってもらいたい!

そんな想いから生まれたビヤホール。

 

最初の店舗は、近代建築の第一人者、

日本橋の設計で名高い、妻木頼黄(つまきよりなか)によるものでした。

当時としては目新しい、カウンターのある洋風の造りだったといいます。

 

さて、三田から銀座まで、どうやってビールを運んでいたのでしょう。

 

あれ?

街灯にこんな飾りが…。

 

 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

 

ビールジョッキと、馬と、車輪…。

そうです、馬車で運んでいたのです!

できたてのビールをのせた馬車が、

銀座へ向けて工場を出発し、

いちばんはじめに通る道が、このビール坂でした。

 

 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

 

かつての工場正門から、まっすぐに伸びる坂道。

いつの頃からか、親しみを込めて、そう呼ばれるようになったのですね。

 

このまままっすぐ行くと、渋谷川にさしかかり

「恵比寿橋」が架かっています。

もちろん、ビールを運ぶ馬車のために架けた橋。

昔をよく知る人は、「ビール橋」の愛称で呼ぶのだそう。

 

明治34年(1901)には、山手線上に、

それこそビール輸送のための停車場が新設されました。

これが、現在の「JR恵比寿駅」です。

 

 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

 

一企業の商品名が、駅名となり、

ひいては町名にまでなった、全国でも珍しい例です。

 

いっぽう、

現在のビヤホールが入る、銀座ライオンビルは、

昭和9年(1934)に菅原栄蔵によって設計されたもの。

アール・デコをふんだんに取り入れた華やかな内装と、

店内を飾るガラスモザイクの大壁画など、当時の面影を残します。

日本最古のビヤホール。

国登録有形文化財です。

 

 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

 

ビール坂の上には、ビール色の夏の花が咲いていました。

梅雨ももうすぐ開けそうです。

ビールが飲みたくなってきましたね!

…と言いながら、お酒類をいっさい飲めない湊っ子でした!

 

 

♪銀座ライオンビル(ビヤホールライオン銀座七丁目店)
 東京都中央区銀座7丁目9-20

♪ビール坂
 東京都渋谷区恵比寿4丁目21・23番から恵比寿1丁目21・24番の坂道

 

♪参考文献「歩いてわかる中央区ものしり百科」中央区観光協会/「中央区の文化財(七)建造物」中央区教育委員会 昭和63年刊/「渋谷の坂」渋谷区教育委員会昭和60年刊/サッポロビールホームページ/銀座ライオンホームページ

 

 

 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

特派員ブログ 祝250号!!
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 銀座8丁目とビール坂【町娘みなとっこの目黒不動参りシリーズ】

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第250号 令和7年6月30日