阿舒庵亭主

佃島旅情

隅田川の河口のほど近くに、高層住宅に囲まれた古い街が今も残されています。それが佃島です。

 佃島旅情

本能寺の変が起こった時(1582年6月)、堺にいて危険と感じた徳川家康は岡崎に帰ろうとしました。しかし地理不案内の為思うに任せませんでした。その時、道案内を買って出たのが摂津国佃村の漁民たちでした。その後、江戸に幕府を開いた家康はその時の恩義に報いるために、佃村の漁師33人を江戸に招きました。後に石川島の砂州を与え住まわせたのが現在の佃島と言われています。獲った魚を幕府が買うことを保証し望めば市場で売ることも許しました。これが日本橋のたもとの魚河岸のはじまりで、関東大震災後には移転して築地市場となりました。

 

 佃島旅情

 

佃には住民が故郷、佃村から勧請した「住吉神社」があります。最近まで神社の前の船溜まりには古い漁船が係留されていました。境内には漁村らしく「鰹塚」が残っています。

 佃島旅情
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町内を歩いてみると古い漁村の面影があり、人が行き違うことも出来ないような狭い路地が残っています。路地の中には天台子育地蔵が祀られていて、今も香華の絶えることが無く厚く尊崇されています。

 佃島旅情
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佃の一角には江戸時代に地方への土産として重宝された保存食の「佃煮」を製造販売する店が見られます。

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佃大橋が出来る1964年まで銀座方面からは渡し船があり、今も隅田川の両岸にその記念碑が残っています。そのころまで佃島は文人などの遊興の地であり、川辺には劇作家北条秀司の句碑があります。「雪降れば佃は古き江戸の島」

 

 佃島旅情
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